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【スポーツ王の育て方】松田宣浩 ~7度目のGG賞と初のベストナインを受賞した「熱男」
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KIDSNA編集部の連載企画『スポーツ王の育て方』。#04は松田宣浩氏にインタビュー。今年、通算7度となるゴールデングラブ賞と、自身初となるベストナインを受賞した彼は、どのような教育と信念のもと作られたのだろうか。熱い男が辿ってきた過程を解明していく。
「常に自分たちが最高峰にいることをイメージする」
「成功体験の上にさらなる成功を重ねる」
こう語るのは、福岡ソフトバンクホークスに所属し、今年、プロ13年目にして初となるベストナインと、通算7回目となるゴールデングラブ賞を受賞した、松田宣浩選手(以下、敬称略)。
小学2年の頃から双子の兄とともに野球を始め、中学では地域の野球クラブに入団。野球の名門である中京高等学校(現・中京学院大学附属中京高等学校)、亜細亜大学へと進学し、大学生時代は日本代表入りも果たす。
大学卒業後、ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスに入団。翌年から一軍入りを果たす。走攻守すべてにおいて実力を備え、三塁手として球界を代表する一人とされている。
「熱男」というネーミングでも知られる松田宣浩選手は、その名のとおり声を出し、ベンチとファンを盛り立てるムードメーカーとしてチームを牽引している。
いつも元気にハツラツとプレーする姿が印象的な松田宣浩選手だが、学生時代は寡黙なタイプだったという。現在の活躍とプロ選手としてのスタイルは、どのような教育を受け、どのようなこだわりのもと育まれてきたのかを解明していく。
小学2年から野球一筋
野球との出会いと始めたきっかけ、厳しい練習の中でもモチベーションを保ち続けた方法について聞いた。
気が付いたら野球をしていた
ーー小学2年から野球を続けられていますが、始めたきっかけとは?
「父が高校野球選手として甲子園に出場していたことが、ひとつのきっかけとしてあります。
当時はテレビをつければ野球中継が放送されていて目にする機会も多かったこともあり、自然と野球をする環境にありました。気が付いたら野球をしていた。
小学2年の頃、双子の兄と一緒にグローブを買ってもらいキャッチボールから始め、兄とともに地元の野球チームに入団しました」
ーーその頃からプロ野球選手を目指していましたか?
「憧れは抱いていましたね。『プロになれる』と確信が持てたのは大学1年の頃でした」
常に最高峰にいる自分をイメージ
ーー高校、大学ともに野球の名門校に進まれていますが、学生時代の厳しい練習の中で、どのようにモチベーションを保たれたのでしょうか?
「常に自分たちが最高峰にいることをイメージしていました。
高校の時でいうと、甲子園に行けなかったシーズンは晴れ舞台に立つ選手や甲子園の試合を見に行き、こういう場に自分たちも行くぞ、と意識していましたね。
そのやり方は中学の頃から癖づいていて、同級生プレイヤーの中でも群を抜いてすごかった鬼崎裕司選手や今江敏晃選手の試合を見に行っていました。まだ追いつけていない次元の選手を見て『必ずそこまで行くぞ』と」
ーー当時はJリーグも盛んだったと思いますが、他のスポーツに興味を持ったことは?
「ないですね。小学校にサッカーチームがなかったことも、興味を持たなかった理由の一つだと思います。
自分は趣味がなかったのですが、そのおかげで小学校から大学まで、ブレることなく野球を続けることができました。今思うと、もう少し他のことに挑戦したり、遊ぶべきだったと思っています(笑)」
成功体験にさらなる成功を重ねる
ーー悔しい想いもある中で、自分を律し奮い立たせることは簡単ではないように思いますが、そこまでできた理由とは?
「嬉しい成功体験があったからですね。
小中高とバッターをやってきて、ある日突然ホームランを打てた時の感触を手が覚えていたり、みんなが喜んでくれた光景が焼き付いていたことが、続けられた根底にありました。
成功体験がその人を成長させる。失敗ももちろん大切ですが、プロとなった今でも、成功した時の感覚をもう一度体験したくて、苦しくても頑張れるのだと思います。
なのでこれからも、成功体験の上にさらなる成功を重ねていきたいですね」
大学時代、春季リーグに出場できないという苦しい状況におかれたときも、早朝練習を一日も欠かさず続けた松田宣浩選手。学生時代から持ち続けた野球に対するブレることのない強い想いこそが、彼を一流選手へと導いたのかもしれない。
プロ選手としてのマイルール
現役選手として活躍する松田宣浩選手は、「全試合フルイニング出場」を目標として掲げている。これを実現するために、どのような想いを胸に活動されているのだろうか。
常に自分との対決
ーープロに入団された当初、学生野球とのレベルの違いを目の当たりにし、どのように感じましたか?
「とんでもない世界に来た、と思いましたね。
それは一般社会でも同じだと思います。今まで過ごしてきた世界とは全く違うことが起こる。だからこそ、その場に慣れ、予期せぬ状況に対応できる力を即急に身につける必要がある。
特にキャンプ期間中はプロの世界に怖さを感じることもありましたが、いざ試合に出るとなると、そうも言っていられない。年齢も経験数も関係なく勝負しなければならない。
若いときは苦しく感じたこともありましたが、試合に出続け、レギュラーに定着してからは、常に自分との対決でしたね」
先輩選手に任されたミッション
ーームードメーカーとしてチームを盛り立てる役割も担っていますが、そこに徹しようと思ったきっかけは?
「2011年に川崎宗則選手がメジャーへ移ったのですが、オフに入ってから川崎選手から『俺の代わりをお前がやってくれ』という言葉をいただいたんです。
それなら、自分が責任をもってやろう、というのが2012年のスタートでした。川崎選手のキャラクターを引き継いだわけだから、頑張ろうと。
ただ、選手として試合で結果を出すことは大前提にあります。プレッシャーと付き合いながらではありますが、数字と元気なキャラクターという二つのミッションをしっかりクリアしようと決めて、臨んできました」
ーー学生の頃から声を出してチームを引っ張るタイプだったのですか?
「まったく違いますね。学生時代はどちらかというと無口でした。大学時代は誰よりも早くグランドに入り、最後まで残って練習をしたりと、背中で引っ張るタイプでした。
学生時代の友人からは『お前なんでそんなに元気なん?』と言われるくらい、キャラは違うと思います(笑)」
ーー違うキャラクターをスランプの時期でも自分の使命として続けられた、その根底にはどのような想いがあるのでしょうか?
「それはやはり、川崎選手が自分に引き継いでくれたことが嬉しかったからですね。
それに、元気であることは一つの武器だと思いました。ムード―メーカーとしてもみんなに認められて、良かったと思っています」
自分に限界を定めない
ーー今となってはベテランと言われる域に入ったわけですが、若手選手が次々と入団する中で、ご自身の年齢や状況など含め、どのようにモチベーションを保たれていますか?
「まだまだ若いぞ、と想い続けることですね(笑)。
年齢は進むし体力も落ちるのですが、まだまだ若いぞ、と自分に言い聞かせると、身体は自然と動いてくれるものです」
ーー今これだけの活躍をされている、その要因は何だと思いますか?
「元気と熱さと若さ、です(笑)。この3つを常に持って続けてきたことにあると思いますね。
あとは、自分に限界を定めないことですね。
13年の間に経験も実績も上げてきて、自分には年々パワーがついていると思うんです。今年も30本打ったように。経験値はどんどん上がっていき、さまざまな経験を積み重ねた上で今がある。
これは試合に継続して使ってもらえているからこそ味わえる気持ちだと思います。こう感じられることは、幸せですね」
今の現状を「幸せだ」と言い切れる、その背景には、誰にも負けない努力に加え、教えと先輩の想いをしっかりと受け止め守り続ける芯の強さがあるからだろう。
松田宣浩ができるまでのルーツ
走攻守すべてにおいて高い評価を受ける松田宣浩選手だが、その能力はいかにして育ったのだろうか。
スイミングで養った基礎体力
ーー野球を始められた頃から身体能力は高かったのですか?
「高かったとは思います。幼稚園に入った3歳の頃からスイミングをやっていたので、それが大きかったと思いますね。
小学校の頃は足の速さを買われて陸上部に借り出されたこともありました。中学になると野球に専門的に取り組み始め、身体の成長や練習量、メニューにより、さらに足は速くなりました」
双子の兄の存在
ーー双子のお兄さんとは高校まで一緒だったそうですが、ライバルとして意識されていましたか?
「負けたくない想いは持っていました。同い年なのに、当時は兄の方が全てにおいて勝っていたので。野球、足の速さ、力の強さ、なんでも兄が勝っていました。
ただ、仲が悪くなることはなかったですね。兄はピッチャーで、自分は遊撃手。ポジションが違うので揉めることもありませんでした。
野球でもサッカーでも、スポーツ問わず結果を出した人には、幼い頃から意識していた存在が身近にいた、という話はよく聞きますが、自分もご多分に漏れず同じだと思います」
身体を強くしたい両親の想いもあってスイミングを始めた松田宣浩選手。そのかいがあって丈夫な身体と俊足を手に入れた。双子の兄との切磋琢磨も、彼の向上心を常に刺激していたのだろう。
両親は一番の理解者
父親が元高校野球選手であれば、野球をはじめとする日常生活に対し、厳しい教えや訓練に力を入れた教育を想像するが、松田宣浩選手はどのような教育を受けてきたのだろうか。
理解したうえで支えてくれる存在
ーー野球を続けていくうえで、ご両親からの厳しい教えはありましたか?
「厳しさはありましたが、好きなことに取り組ませてくれる環境を整えてくれていました。
野球を辞めたい気持ちが起こらなかったのは、自分から野球を好きになり、好きなだけやらせてくれていたからでしょうね。もし強制的にやらされていたら、どんなことでも反抗したり、途中で投げ出すことはあったと思います」
ーー野球を続けることに対し、ご両親との約束事やルールはありましたか?
「食事だけはしっかり摂るように言われ続けていました。体を大きくすること、丈夫な体を作るためには、やはり食事は大切。そういった、運動するうえでベースとなる部分は、特に気に掛けてくれていました」
後悔しない意思決定
ーー進学時やドラフトを受けるときなど、ご両親とはよく話されましたか?
「話しをしましたね。やはり育ててくれた分、自分のことを一番わかってくれていると思うし、親としか決められないものですよね。
最終的には自分で決めますが、理解者の意見をしっかり聞いたうえで、自分の意志と照らし合わせながら、時間をかけて考えたほうが、後悔しないだろうと思っています」
人生の分岐点に立たされた時、松田宣浩選手は周囲の声に耳を傾ける。野球一筋で続けてきた固い意志を持ちながらも、独りよがりには決してならない。その柔らかな人柄があるから、チームを牽引することができるのだろう。
松田宣浩選手の子育て
野球とまっすぐに向き合い続けてきた松田宣浩選手は、自身の子育てにはどのようなスタンスで向き合っているのだろうか。
自身の後悔を活かす子育て
ーー松田選手の教育論を教えてください。
「『なんでもやらせる』ということですね。とにかく幼いうちから脳を活性化させたり、遊びも含めたさまざまな体験をして、基礎能力をつけさせてあげたいと思っています」
ーーそれはやはり、好きなことを続けさせてもらったご自身が受けた教育がベースになっていますか?
「それもありますが、35年間生きてきた中で野球しかしてこなかったことに、少し後悔があるからです。他のことにも挑戦して、何でもかじり取ったほうがよかったと、今なら思いますね。
一つの専門分野でプロとなれたこと、頑張った自分がいるのは確かですが、違う物事に触れることで経験した学びは、感覚として必ず残る。
今のプロ野球選手としての立場でも、そうした視点は必ず役立つと思いますし、これからの時代を生きていくためには、一つを極めるだけでは足りない、と感じています」
ーーお子さまは今、習い事などされていますか?
「上の子は野球、テニス、スイミング、英語もやっています。すべて子どもの『やりたい』意志で始めました。気が付いたらいっぱい習い事をしていて驚きましたが、いろいろな武器を手に入れてほしいですね。
幼い間は無限に可能性があるので、それを伸ばすのも親の仕事だと思っています。だからこそ、勉強もスポーツも、いろいろな角度からアプローチしていきたいですね」
子どもとプロが触れ合える場を増やす
ーープロ野球選手として、子どもたちにスポーツをどのように伝えていきたいと考えていますか?
「テレビで野球を観る機会も、昔に比べたら少なくなりましたよね。一方で、野球教室や学校訪問など、直にプロの選手と触れ合う機会は今の方が多いと思います。これからもそういった機会を増やしていきたいですね。
野球でも学者でも何であっても、子どもが目指しているものや将来の夢に対して、その道のプロと直接触れ合うえる機会というのは、やはりとても貴重だし重要だと思います。そういう機会を作っていくことが、大人の使命だと思いますね」
新しいシーズンが始まると、子どもと会える機会は月の半分もないという。だからこそ、「子どもより低い目線で接していきたい」と語った。
松田宣浩が思う「スポーツ王」とは
最後に、松田宣浩氏が思う「スポーツ王」について聞いた。
「たくさんいます。その中でも特に挙げるとするならば、やはり王貞治監督ですね。身近な存在だからこそ、よりそう感じるのでしょうね。
ただ、プロとして活躍しているアスリートは、みんな天才だと思っています」
ゼロイチが成長し続ける証
ーー今年、ベストナインを受賞されましたが、今どのようなお気持ちですか?
「ベストナインは念願叶って受賞することができました。この賞を取りたいという気持ちだけだったところが、一回受賞されたことで一つの実績となった。
人間は欲が出るもので、一回受賞すると二回目も取りたい、二回受賞すると三回目も、となる。ゴールデングラブ賞は今年で7回受賞していますが、ゼロがイチになることで、さらにその先へと進みたくなるものです。
その想いがモチベーションにもなるし、人間を成長させてくれるのだと思います」
編集後記
松田宣浩選手は、シンプルで飾りのない言葉で自身の野球遍歴を語ってくれた。現在の活躍に至るまでには計り知れない努力があったと想像するが、その苦労を微塵も感じさせない明るさに、「熱男」と呼ばれる現役選手の芯の強さを感じた。
KIDSNA編集部
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