金ピカの茶室は秀吉の成金趣味じゃなかった…当時の庶民が秀吉の"見せびらかし"に感動したワケ
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成り上がり秀吉の悪い意味での象徴が金の茶室である。「イヤだねぇ、成金は」などと眉をひそめる向きもあるが、有識故実家の髙山宗東さんは「黄金の茶室を見た当時の人びとは、天皇が目にした結構なものを、一般人である自分たちまでもが見ることができたと一様に感動しているのだ」という――。
天皇にまで見せびらかす金ピカ趣味
秀吉というと、金ピカの成金趣味というイメージがあって、その悪い意味での象徴のように思われているのが、彼が作らせた「金の茶室」である。
茶室全体が黄金仕様で、茶道具もすべて金で新調した金ピカづくしだ。
天正十四(1586)年正月十六日、秀吉は宮中の小御所において、二度目の禁中茶会を催し、時の正親町天皇にご自慢の「金の茶室」を見せびらかした。さあ、それを手はじめに、さまざまな人にこの茶室を開陳していく。
「毛利の両川」といわれた吉川家の家臣・吉川盛林は、「惣金の御小座敷を御両殿御覧候、我等式も拝見申し候、三じょう敷にて候、床も御座候、驚目たる事にて候(すべてが金で作られた小座敷を小早川隆景様と吉川元長様はご覧になりました。私たちのようなものまで拝見することができました。その座敷は三畳敷で、床まで金貼りで、大変驚きました)」(天正十三年、吉川盛林が国元の久利盛勝に宛てた報告書)と記している。
また、天皇の身近に仕える女官の執務日記には、「くあんはく、こかねのすきさしきもちて御まいり候て、小御所にて御めにかけまいらせ(中略)六の宮の御かた、わかみやの御かた、小御所へならしまし候とき、御おとこたちの御ともにて女中は御あとよりみなみな御まいり候て、こかねのさしき御らんし候(関白秀吉が黄金仕様の数寄座敷を持って来て、小御所で天皇にお目にかけた(中略)幼少の皇族である六ノ宮や若宮は男性のお供を連れて小御所にお出ましになり、女中たちはその後から小御所に行き、黄金の座敷を拝見しました)(『御湯殿上日記』天正十四年正月十六日条)とある。
奈良興福寺の子院多聞院の院主が綴った日記には、「一、金子ノ座敷持テアルク様ニシテ、於内裏茶湯沙汰之、今日明日ハ於紫野京中ノ男女ニ見物サスル由也(黄金の茶室は持ち運びできるようになっていて、内裏でお茶会があった。今日明日は、紫野の大徳寺においてこの茶室が公開され、都中の男女にこれを見物させるという)」(『多聞院日記』天正十四年正月二十日条)と見える。
金の茶室は解体して持ち運びができるように作られており、秀吉はこれを禁中ばかりか、さまざまな場所にもちだしては、人びとに見せびらかしたのだ。
現代的な感覚では、多くの人が「イヤだねぇ、成金は」と思うかもしれないけれど、当時の人びとの受けとめ方は、ちょっと違った。
黄金の茶室を見た当時の人びとは、一様に感動しているのだ。それも、単に金ピカに驚いたということだけではないらしい。
この茶室で、秀吉が時の天皇に茶をもてなしたことは、当時の一大トピックだった。
つまり、天皇が目にした結構なものを、一般人である自分たちまでもが見ることができた、ということに、彼ら――地方の武士、宮中の女官、奈良の僧侶、そして京都の一般庶民たちは驚いたわけだ。




























