広島に原爆が落とされても戦争をやめる気はなかった…日本の戦争指導者が"敗戦"を受け入れた決定的瞬間
昭和天皇の"聖断"に影響を与えた「運命の5日間」
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1945年8月、なぜ日本はポツダム宣言を受諾し、降伏すると決めたのか。戦争終結論を研究する千々和泰明さんは「広島と長崎に原爆を投下されたことを敗戦の要因とする、『核要因説』が一般的には主流。ただ、米国側の目的や、日本に対する効果を検証していくと、ソ連参戦を要因とする『ソ連要因説』に妥当性があることがわかる」という――。(第3回/全3回) ※本稿は、千々和泰明『誰が日本を降伏させたか 原爆投下、ソ連参戦、そして聖断』(PHP新書)の一部を再編集したものです。
日本を降伏させたのは「原爆」か「ソ連参戦」か
米国が日本に対し核兵器を使用した目的が、たとえコスト最小化のためだったとしても、核使用が本当に早期戦争終結という効果をもたらしたと言えるのか。この問いにイエスと考えるのが、日本によるポツダム宣言受諾の要因を核使用に求める核要因説である。
これに対し、ソ連参戦(すなわちソ連仲介策の破綻)のほうを重視するのがソ連要因説だ。ただ、日本がポツダム宣言を受諾した要因が米国の核使用だったのかソ連参戦だったのかを、誰もが納得できるかたちで断定することは困難である。
いずれも昭和天皇の第一回目の決断まで5日以内という、きわめて短期間に連続して起こった出来事だった。ソ連参戦なしに核使用だけで8月10日の決定に至った、あるいは逆に、核が使用されなくてもソ連参戦だけで同じ結果が導かれた、と証明することはほぼ不可能だろう。だからトマス・ゼイラーのような歴史家は、この論争をただの「ゲーム」にすぎないと見る。
だが、ゲームというのは言いすぎだろう。史料と論理にもとづいて、当時の日本の指導層が、核使用とソ連参戦という絡まり合った運命の糸のうち、どちらにより大きく影響されたと言えるのかを、ある程度までは検証できるのではないだろうか。本稿で行なうのは、そのような試みである。