80年前の南海トラフ地震が「アンパンマン」やなせたかしの運命を変えた…先に上京した"のぶ"と感動の再会
朝ドラ「あんぱん」でも描かれる昭和南海地震の惨状
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終戦1年後に起きた昭和南海地震。朝ドラ「あんぱん」(NHK)のモデル、やなせたかし氏は新聞記者として震度6の高知県にいた。作家の青山誠さんは「漫画家になりたいという願望を抑えていたやなせ氏は、この地震をきっかけに上京を決意する」という――。 ※本稿は青山誠さん『やなせたかし 子どもたちを魅了する永遠のヒーローの生みの親』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
東京の生活が、やなせも暢も忘れられなかった
やなせも暢のぶも、東京で暮らした経験がある。最先端の流行文化に触れ、様々な人との出会いがあった。ふたりは好奇心が旺盛なことでは共通している。かつての東京での生活に魅力を感じていた。
いまだ戦禍が癒えない東京だが、取材を通して再生への動きがそこかしこで始まっていることを知る。もっと素晴らしく楽しい明日になると信じて、夢を抱いて前に進む人々の熱情にも魅せられた。
「やっぱり、東京はいいなぁ」
そんな思いに駆られる。そして、高知に帰ると……焼け跡の整備も一段落して街は落ち着いているのだが、東京で感じたような熱気がない。心がときめかない。退屈な田舎町だと思ってしまう。東京で暮らしたい。ふたりともその思いが強くなっている。
暢が転職&東京移住、結婚はどうする?
最初に決断したのは暢だった。
「私、東京に行って働くわ」
突然、告げられる。知人が国会議員に当選し、秘書になってほしいと彼女を誘ってきた。その求めに応じることにしたのだという。暢からすればこの時に、
「じゃあ、ぼくも一緒について行く」
と言って欲しかったのだろう。でも、やなせには言えなかった。
少し前から、暢は結婚を匂わせ、決断を促すような言動をするようになっていた。結婚したい、一緒に東京に行きたい。と、その思いはやなせも同じだが、彼女の行動が早過ぎて躊躇ちゅうちょしている。
『月刊高知』で挿絵や漫画を担当するようになってからは、描くことに対する情熱がいっそう高まっている。上京して本格的にプロの漫画家をめざす。将来の夢も明確になってきているが、それはまだ時期尚早だとも思う。
仕事を辞め上京して、生活ができるのだろうか。その不安が大きい。もう少しお金を貯めてから、もう少し絵の技術を身につけてから。と、慎重になってしまう。また、いまの恵まれた状況も決断を鈍らせる。新聞社の社員でいれば安定した収入があるし、地元の優良企業なだけに世間体もいい。その立場を捨てるのは惜しい。この居心地の良い場所からまだ動きたくなかった。
冬の寒い夜にコタツでうたた寝して目が覚めた時、冷たい布団に入るのが億劫で動けない。そのまま温かいコタツでグダクダしながら二度寝してしまう。起きなくちゃいけないと思ってはいるのだが……。当時のやなせの心境も、こんな感じか。