自腹6000万円の事業を7カ月で撤退…80歳・現役経営者が「どれだけ失敗してもこれだけは絶対やるな」ということ

自腹6000万円の事業を7カ月で撤退…80歳・現役経営者が「どれだけ失敗してもこれだけは絶対やるな」ということ

自分の中で不安や恐れが増幅してしまう

【後編】だから80歳で毎日働ける…健康に人一倍気をつかう"伝説の経営者"が朝食に欠かさず取り入れるヘルシー食材 上司に迷惑をかけてはいけない、失敗はキャリアの傷になる。そんな思い込みこそが、若手の成長を妨げていると語るのは、“伝説の経営者”中野善壽さん。中野さんが若い頃に繰り返した“危ない経験”とは――。

自分なりに成果は出せたがその過程は失敗だらけだった

――伊勢丹や鈴屋で海外事業などをチームメンバーと共にスタートした後に、台湾に渡り、財閥系企業の要職を歴任。寺田倉庫のCEOとして天王洲エリアのリバイバルやニューアカオの創生を経て、後進を育成する私塾も盛況だという中野さんの経歴は、「成功の連続」に見えます。ご自身としては何が奏功したと感じますか?

逆です。それぞれの場所で私なりの成果は結果的に出ましたが、それまでの過程は失敗だらけでした。そもそも、私は自分のことを「仕事ができる人間」だなんて、最初から思っていなかったんです。大学時代は野球しかやっていなくて、寮の近くの花屋のおばさんが職を心配して紹介してくれたのが急成長する前の伊勢丹。配属されたのはマミーナという子会社で、アパレル事業の立ち上げメンバーの一人としてキャリアをスタートしました。


後に「アナスイ」や「ケイタマルヤマ」を展開することになる婦人・子供服専門店も、最初は手探りだらけでした。新入社員のくせに若い頃から空気を読まずに思ったことを意見するタイプだったので、先輩とケンカもしょっちゅうでした。しかし未経験ゆえに発想は自由にできる。例えば「同じ素材でカラー展開は3色のみ。その代わりサイズを豊富にそろえよう」というチームのアイディアが当たって、成功しました。

その後、たまたまの“人事”で伊勢丹の香港店の立ち上げに携わり現地に行ったときには、会社が決めていた土地がピンと来なくて、代わりに自分で街を歩いて見つけた場所を進めようとして「勝手なことをするな!」と怒られました。その後、役職がついてからは自分で「これだ」と発想して携わった事業であっても、やってみて「違うな」と思ったら迷わず撤退する。その都度のベストを躊躇なく選択してきたので、方向転換はしょっちゅうです。

たしか鈴屋に私が入ったときは売り上げ30億円くらいでした。出るころには870億円くらいになっていましたけれど、チームでやれたことなので私だけの成果ではないし、あくまでもそれは結果。そこまでは紆余曲折の連続で、失敗のダメージを被った部門の人たちからするとひどい話です。

個人資産6000万円をかけて事業を立ち上げたが…

鈴屋を辞めて台湾に渡った後も、私の個人資産6000万円をかけて日本で立ち上げた小売りビジネスを7カ月で撤退。日本の責任者に任せた私の怠慢が原因です。しばらく負債の返済に追われましたが、きちんと説明を尽くしたことで、当時迷惑をかけた同僚や銀行・商社の方々とは今でもお付き合いがあります。

でも、世の中の成功ストーリーというのは、全部そのようなものなんじゃないかと思います。少なくとも私は、「いつか成功する」という気持ちで朝令暮改も臆せず、試行錯誤をします。大きな流れでとらえる目を持てばよく、失敗を過剰に恐れる必要はない。むしろ、サラリーマンは失敗しても許される特権? があるのだから、思い切り失敗したほうがいいのではないかと思います。

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2025.07.02

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