いじめの加害者は一生苦しむべきなのか…ブッダが「後悔するのはやめなさい」と説いた真意
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後悔から抜け出す方法はあるのか。福厳寺住職の大愚元勝さんは「お釈迦様は、起きてしまった過去のことを考えることを厳しく戒めている。私たちが動かせるのは『今』だけであり、過去の愚かさを上回るペースで善きことをたくさんするしかない」という――。 ※本稿は、大愚元勝『絶望から一歩踏み出すことば 大愚和尚の答え一問一答公式』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
後悔は「悪の上塗り」でしかない
かつて、愚かなこと、悪いことをしてしまった。何年、何十年という月日が流れても、ずっと後悔を持ち続けている人がいます。
「中学の頃に同級生をいじめてしまった。それをとても後悔している」と告白してくれたのは20代の女性です。
いじめをした。これは悪い行為です。
それは愚かだったと気づいた。これはとても大切なことです。人は気づかない限り、その行為をやめられません。
問題はその次です。愚かなことをした自分を後悔している。
悪いことをしている自分を責めて、後悔するのは、一見誠実な態度のように見えるかもしれません。しかし本当にそうでしょうか。
仏教では、後悔を悪いことの一つとして捉えています。
悪いことをして、それを後悔するのは「悪の上塗り」でしかなく、「後悔はやめなさい」と教えています。
悪行を上回る善行を積まなければならない
後悔は苦しいものです。
たとえばお腹が痛いとか、体のどこかが苦しいときに、仕事をしなければならないとします。集中できますか? そんな状態で的確に対処できるでしょうか?
できる人は少ないと思います。
それと同じで、後悔をするとその苦しさのために心が曇ります。
心がクリアでないときは、なかなかクリアな思考ができません。心がぐちゃぐちゃな状態では、良き判断が出てきません。体が動きません。それでは困るんです。
なぜかというと、自分が愚かであったと気づいたら、その愚かさを上回るペースで善きことをたくさんしなければならないからです。
それが、悪しきことをしてしまった過去への埋め合わせです。
その埋め合わせをコツコツと続けて、やめないでいると、過去につくってしまった悪行の穴が徐々に埋まっていきます。
埋まっても、やめないで続けると、そこに山ができていきます。善行の山です。
その山をつくることが、犯してしまった罪に対する唯一の償いです。