稲盛和夫は"バーゲンの垂れ幕"を見て「俺は馬鹿だ」とつぶやいた…伝説の経営者が最も大切にしていたこと
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“経営の神様”と呼ばれる稲盛和夫氏はどんな経営者だったのか。約30年間、側近を務めた大田嘉仁さんは「稲盛氏には内に秘めた“燃え続ける闘魂”があった。プライベートはないと考えて先頭に立ち、全社員の“心を高める”ことにも注力していた」という――。(第2回) ※本稿は、大田嘉仁『運命をひらく生き方ノート』(致知出版社)の一部を再編集したものです。
リーダーには「燃える闘魂」が必要だ
稲盛さんは京セラや第二電電(現KDDI)を創業し、JALの再建も成功させました。そのときの心構えは、稲盛さんが言う「燃える闘魂」そのものだと思うのです。
稲盛さんは格闘技が大好きで、私もボクシングの試合を一緒に観戦したことがあります。
観戦後、稲盛さんは「ボクサーは試合が始まる前は、足が震えるほど怖いそうだ。しかし、闘魂のある選手は、試合が始まったらそんな素振りは決して見せない。強いパンチを受けても、平気な顔をしている。
なぜなら、そのときちょっとでもひるめば、相手から押し込まれ負けてしまうからだ。それは仕事も同じで、『もうこれまでか』という状況に追い込まれても、リーダーは決して白旗を掲げてはならない。
もし、リーダーがファイティングポーズをとれず、弱気なそぶりを見せたら、組織の士気はあっという間に下がってしまう。窮地に陥ったときこそ、リーダーは組織の士気を高めなければならない。そのために必要なのが『燃える闘魂』であり、それはリーダーに欠かせない資質だ」と教えてくれました。
“決して白旗を掲げなかった”JALの再建
京セラも創業以来、大きな景気の変動の波にもまれています。1970年代のオイルショックでは受注がほとんどなくなり、1985年のプラザ合意では急激な円高に見舞われました。
その後も、バブル経済やITバブル景気の崩壊、リーマンショックという大きな不況を繰り返し経験しています。
第二電電(現KDDI)も、創業直後に通信回線敷設の目処が立たないという危機的な事態を迎えたこともあれば、多額の設備投資のために財務的に厳しい状況に陥ったこともあります。その都度、稲盛さんは闘魂を燃やし、乗り越えていったのです。
その典型はJALの再建でしょう。稲盛さんは「3年で再建を成功させる」と宣言していたのですが、最初それを信じる人はいませんでした。
JALは倒産し、マイナスからのスタートだったので、すべてのメディアは、再建は不可能と断言していました。それでも稲盛さんは白旗を掲げるような素振りは少しも見せませんでした。
再建二年目には東日本大震災という思いもよらない厳しい事態に遭遇します。多くの人が、これで再建は失敗してしまうだろうと危惧していました。しかし、それでも稲盛さんは決して白旗を掲げませんでした。
「燃える闘魂」と言うと、鬼のような形相で戦いを挑むような激しいイメージを持つかもしれませんが、稲盛さんの言う「燃える闘魂」とは、そのような激しく一過性のものではなく、内に秘めた松明のように燃え続ける闘魂なのです。
その闘魂を燃やし続けた結果、東日本大震災に見舞われた再建2年目には過去最高となる2000億円を超える営業利益を生み出し、JALは再建から2年8カ月という奇跡的なスピードで再上場を遂げることができたのです。