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【天才の育て方】#10平野正太郎 ~創造力豊かな12歳のゲームクリエータ
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KIDSNA編集部の連載企画『天才の育て方』。#10は平野正太郎にインタビュー。現在12歳にして企画開発したパズルゲームが、2018年「第3回全国小中学生プログラミング大会」にて優秀賞を受賞。同年、「未踏ジュニアスーパークリエータ」にも選ばれる。どのように彼の創造性と才能が育まれたのか、その背景について迫る。
「ないものは自分の手で作りだせばいい」
「僕にとってつまらないのは"やることがない"状態」
こう語るのは、小学生のころからゲーム作品を企画開発する平野正太郎さん(以下、敬称略)。
現在は中学1年生。幼稚園でロボット教室に通い始めるが「ひとりでもできるから」と行くのを辞めた。小1で基本のパソコン操作を学び、小2で自分のパソコンを持ち、地域の「発明クラブ」に通い始める。小3になるとオープンソースハードウェア組み立ての講座に通い、オリジナルゲーム作品の制作をスタート。
小4で作ったハードウェアゲーム「キラキラミュージックBOX」はプレイした人の意見をもとに改良を重ね、小6の時、同作品で「第2回全国小中学生プログラミング大会」で準グランプリを受賞。
2018年の「第3回全国小中学生プログラミング大会」では中学生部門で優秀賞を受賞。また、社団法人未踏が運営する17歳以下の小中高生や高専生を対象とした人材発掘、育成のための「未踏ジュニア」プロジェクトでは、ゲーム作品「Let’sえいごパズル!」の企画開発で2018年度未踏ジュニアスーパークリエータに選ばれた。
「プログラミングはモノづくりのひとつ」と語る彼は、どのようにその創造性やアイディアを育んできたのだろうか。今回は彼のお母さまにも同席いただき、彼の才能が育まれた背景を紐解いていく。
小2ではじめたプログラミング
近年、幼児向けのプログラミング教室に興味を持つ家庭は年々増えているのではないだろうか。小学校でも2020年から必修化されるとあって、プログラミングが教育現場に取り入れられる機会も飛躍的に増えている。
そんな中、6歳からプログラミングを応用して、平野正太郎さんはゲーム作品などの「モノづくり」をしてきた。そのきっかけは何だったのだろうか。
ないものは自分で作ればいい
――まず、「Let’sえいごパズル!」や「ロボロボパズル!」、「キラキラミュージックBOX」はどのような思いがあって生まれたのか教えてください。
正太郎「『Let’sえいごパズル!』はアルファベットの表示されたキューブを並び替えて単語を作るゲームです。『ロボロボパズル!』は、ロボットの絵のついたタイルを実際に並び替えて、画面に表示されたものと絵合わせをして遊びながら、足し算も学べるようになっています。手を動かして遊びながら学べるものを作りたくて、作りました。
ゲーム制作を始めたばかりのころに作った『キラキラミュージックBOX』は、音楽のタイミングに合わせてリズムを打つだけでなく、ボタンを押すことで音階が奏でられる作品。自分が知る限りではそういうゲームがなかったので、ないものは作ればいいという考えは、ここからスタートしました。
僕が作ったゲームをプレイした人に楽しんでもらえたら嬉しいし、楽しいだけじゃなくて、作品を通して人の役に立ちたいという気持ちもあります」
人の役に立つ「モノづくり」がしたい
――学ぶことを目的とした作品のほかに、作ってみたいものはありますか?
正太郎「生活の範囲にも広げていきたいと思っています。 実際、小5の時に、ひたすら家の中を回転しながら掃除する『フリフリおそうじロボ』を、小6の時には、車に乗り降りするときに傘のように開く仕組みを作ったりしました」
――どのようなきっかけでそれを作ろうと思ったのですか?
正太郎「雨の日に車に乗るとき、傘を一度閉じるから濡れますよね。子どもや赤ちゃんを抱いているお母さんだと、子どもを先に車に入れなきゃいけないから、その間に雨に濡れてしまいます。
そういう場面を想像して、車に乗り降りするときに傘のように開く仕組みが車についていたら便利だと考えて作りました」
小学生にして豊かな想像力を持ち、それを形にしてきた平野正太郎。その強力なツールとなったプログラミングとの出会いはどのようなものだったのだろうか。
「プログラミングで、ずっと遊んでいました」
――そもそもプログラミングに興味を持ったきっかけは?
正太郎「小2の時に、父からプログラミンやScratchというブロックプログラミングのサイトを教えてもらったのがきっかけです。しばらくそれで遊んでいたのですが、そのうちもっと複雑なことをやりたくなって、自分でプログラムを書く方に進みました」
――どのように勉強したのですか?
正太郎「最初に勉強したのは小3のころです。ドットインストールというサイトにいろいろなレッスンが載っているので、自分でいろいろ使いながら試しました。それが楽しくて、応用しながらどんどん勉強していきました。
同じころに、初心者向けのArduinoのワークショップがあったので、8歳でも大丈夫か確認してもらって参加しました。それもやってみると楽しくて、回路やプログラミングを変えたりして、ずっと遊んでいました」
彼にとってプログラミングは、あくまで「楽しい遊び」。すぐにでもやってみたいと8歳でワークショップに参加したり、そこで学んだことを独自に応用したり、行動力と好奇心の強さがうかがえる。
そして、その「遊び」が実を結び、のちにオリジナルゲーム作品を生み出していくことになる。
部活も勉強もすべて「楽しい」が原動力
正太郎さんは、中学校ではオーケストラ部に所属している。部活、学校の勉強、そしてゲーム制作などの「モノづくり」で、時間をどう配分しているのだろうか。
勉強は、学校の授業で集中して覚える
――オーケストラ部に所属されているということですが、音楽はいつごろから好きだったのですか?
「音楽は物心ついたころから好きで、聴くのも好きだし、演奏するのも歌うのも好きでした。小学校では金管バンド部に入ってトロンボーンをやっていました。
今通っている中学校のオーケストラ部は、先輩たちが全国大会で1位を獲ったことに憧れて入部しました。今はバイオリンをやっています」
――オーケストラ部の練習、学校の勉強、そしてモノづくりと、時間のやりくりが大変なのでは?
正太郎「バイオリンだけは練習時間が遅くならないように、学校から帰ったあと早めにやっています。学校の勉強は、基本宿題しかやっていません。
ゲーム制作などのモノづくりは遊びです。大変だけどどれも楽しいので、続けていられるのだと思います。多少の無理なんて大丈夫だし、やりたい時は夜中の2時までやり続けたりしています」
母「家でモノづくりがしたいのならば、勉強は学校の授業中に全部覚えるくらい集中して、と言ってあります。あとは、宿題もちゃんとやるんだよと声をかけているくらいです」
――お母さまとの約束がありながらも遅くまでモノづくりをしていると、授業中に眠くなったりしないのですか?
正太郎「授業は聞いているのが楽しいから、眠くならないです」
母「息子は勉強自体が好きなので、テスト勉強のために社会の資料集を読んで楽しくなってきて、テスト範囲じゃないところまで読み始たり、英語で英文を作るのが楽しくなって他の教科の勉強時間がなくなってしまうことがあります。
たまに声をかけて軌道修正しますが、楽しんで学んでいるのは良いことだと思っています」
失敗したら、やり直せばいい
――学校の勉強も楽しめるなんて、つまらないと感じることがなさそうですね。
正太郎「僕にとってつまらないのは『やることがない』状態。今までも常に何かをやっていたし、手を動かしていないと気分がおさまらない感じです」
――壁にぶつかったときはどのように対処するのですか?
正太郎「困っている事について、母に話をする事があります。母はプログラミングについては全くわかりません。そんな母に、自分のやっている事をわかりやすく細かく説明していくうちに、自分の考えが整理されて間違いに気づいたり、他の方法を思いついたりする事があります。
うまくいかない時は投げ出したくなることもあるし、何も思いつかない時は、なにもしません。マンガを読んだりゲームをして休憩したり、とりあえず寝たりします。起きたらなにか思いつくかもしれないので。
ちょっとでも思いついたらその時に試してみて、何回失敗しても、とりあえずやってみる。まちがえても、とりあえずやってみる。いろいろな方法を試します」
――そういうとき、お母さまは正太郎さんにどのように接するのですか?
母「失敗したらやり直せばいいし、壁にぶつかったら、その壁が無くなるまで待てばいいと思っています。やらないと失敗するかどうかもわからないから、とりあえずやってみればいいと考えています。失敗したらその時に一緒に悩めばいいかな、と」
失敗を恐れず、何度もやり方を変えて挑戦する正太郎さんの精神力の強さを支えてきたのは、お母さまの「待つ」姿勢なのかもしれない。それが部活や学業、そしてモノづくりで壁にぶつかったとき、ポジティブに乗り越えていく力を育んできたようだ。
天才ができるまでのルーツ
正太郎さんの創造性を開花かせた家庭環境や教育方針は、どのようなものだったのだろうか。お母さまに詳しく話を聞いてみた。
集中しているときは、とにかく待つ
――幼少期の正太郎さんはどんな子どもでしたか?
母「好きな遊びを延々続けていられる子どもでした。ドミノが好きで、何時間も失敗しても失敗してもドミノのコマをいろいろな形に並べ続けていました。なにかを形づくることが好きだったので、レゴを買ってあげたらすぐに夢中になりました」
正太郎「幼いころから手を動かすことが好きで、3歳からドミノで遊んだりピタゴラ装置を作っていました。6歳でレゴのマインドストームをやり始めて、モーターを回す自動ドア付きの家を作ったりしていました」
――夢中になっている正太郎さんに、お母さまはどのように接していましたか?
母「好きなことに集中している時は、とにかく待つことに決めていました。何時間もドミノをやっている時も、基本的に好きなだけやらせていました。お昼ごはんの時間をすぎても、本人が集中しているなら、お腹がすいた時に食べたらいいと考えていました」
時間がかかっても、自分でやるほうが嬉しい
――ほかに好きなことはありましたか?
母「本が好きで、よく本を読んでいました。とにかく文字が好きで、新聞や食卓に並んでいるドレッシングの原材料なども読んでいることがあります。そして、それをよく覚えています。
文字好きのおかげで、工作キットの説明書なども幼稚園のころから抵抗なく読めていました。読めない漢字を私に聞くだけで、あとは自分で読み理解し、作り進めていました。現在も、難しそうな分厚い解説本を抵抗無く読めているのは、そのおかげだと感じています」
――お母さまが手伝ったり教えたりしないのですか?
母「なんでも自分でやりたがる子でした。もちろん、かわりにやってあげたら早いのですが、時間がかかっても自分でやるほうが完成したときに本人も嬉しいし、その様子を見ると親である私たちも嬉しくなります。楽しくやっていくことがすべての元だと思います」
幼少期の習い事について
――幼少期には、どのような習い事をしていましたか?
母「人見知りする子だったので、2歳のときから1年間ヤマハの英語教室に通わせました。英語を学ぶというより、歌ったりしながら楽しんでいたようです」
正太郎「幼稚園のころにロボット教室に半年くらい通いました。本当は小学校からだったところを保護者同伴という条件で入らせてもらいましたが、キットを設計図通りに作るだけだったので、それなら家でもできると思い半年でやめました。
――ほかにどんな習い事をしていましたか?
正太郎「幼稚園年長からスイミングを始めました。1年近く水に顔をつけられなくて、他の子にどんどん抜かれていきましたが、水で遊ぶのが好きだったので続けました。今でも続けていて、息抜きとストレス発散になっています」
自分専用のパソコンは小2から
――パソコン操作はいつごろ覚えたのですか?
正太郎「最初の基本は父が教えてくれました。プログラムを書くなら親のパソコンを使うより自分のパソコンがあったほうがいいということで、小2の時に自分用のパソコンを買ってもらいました。プログラミングもソフトの使い方も、わからないことはネットで検索していました」
――親として、正太郎さんに自分専用のパソコンを与える際、時間やアクセス制限などのルールは設けましたか?
母「明確なルールはなかったと思います。リビングに机があって、私と彼のパソコンが並んでいる状態なので、基本的に私がいつでも見える状態になっています。
ただ、自分のパソコンを持ったからには、父親や私も含め人に何かを聞く前に検索をするように、ということは言っていました。あとは、目が悪くなるのだけは心配だったので、長時間はやめよう、という程度のルールは設けていました」
家庭内で分散も閉鎖もされず、オープンにのびのびとした環境で育った正太郎さん。明確なルールで縛るのではなく、ポイントを押さえてしっかり見守る母親の存在があったからこそ、安心してその才能を開放できたのではないだろうか。
作品が生まれる背景
正太郎さんがゲーム作品などのモノづくりに対して持っている思いについて話を聞いてみた。どのような背景から作品を生み出しているのだろうか。
実際に形のあるモノを作り続ける理由
――正太郎さんご自身、ご両親の影響を感じていることはありますか?
正太郎「アート系のインスタレーションの中に実際に入れるような作品を母が作っていたので、それを見て自分もなにか作りたいと幼いころから思っていました。父もプログラミングをやっているので、モノづくりを始めたのは両親の影響もあると思います」
母「夫はシステムエンジニアなのですが、息子のコードをチェックしたり、つきっきりでプログラミングを教えることは一切しません。でも、学習するのに役に立ちそうなサイトやおもしろそうなサイトを見つけると教えたり、役に立ちそうな本を見つけると買ってきます。雑談の中でよくふたりでプログラミングの話をしていますね」
――同じプログラミングでも、アプリなどではなくゲームのように実際に形のあるモノを作るのはなぜですか?
正太郎「ソフトウエアのゲームで遊ぶのはきっと小学生以上の子どもが多いですよね。幼稚園くらいの子は目の前にモノがあって、それを動かしていじる方が好きなのではないでしょうか。僕もその年齢のころはひたすらドミノを並べたり、モノを使って遊ぶのが好きだったので。
『Let’sえいごパズル!』と『ロボロボパズル!』は、実際にモノを動かして遊べるように制作しました。『ロボロボパズル!』は、ピースが薄くてパズルとしてはめにくさがあったので、『Let’sえいごパズル!』では改良しました。ピースが持ちやすい大きさなので、小さな子どもからお年寄りまでみんなが楽しめるゲームになったと思っています」
創作のアイディアを描きとめる、共有する
――創作意欲を形にするまでの、モチベーションはどのように保っているのでしょうか。
正太郎「やりたいことが見つかると、すぐに実行します。それができないときは、紙に描きとめておきます。あとで、紙に描いておいたものを見て母に話をしているうちにモチベーションが蘇ってきて、作り始めます」
母「日曜日の朝に二人で喫茶店に行きモーニングを食べることがあります。そこで正太郎の作品アイディアを聞くのが恒例になっているのですが、いつも聞いていておもしろいと感じています。
私はそれに対してアドバイスはせずに、ただひたすら話を聞いて、わからないことを質問します。わからないことは正太郎が紙に描きながら説明をしてくれるのですが、そうすることで、作品の抽象的な全体像を具体化しているのかもしれませんね」
正太郎さんが新しい作品を生み出す背景には、親子関係を超えた、同じモノづくりをする者同士の対等な関係性が大きく影響しているのだろう。
天才にきく天才
幼稚園のころから素数に興味を持ち、小学校低学年でプログラミングの基礎を学んで独学で応用するなど天才のように感じる反面、モノづくりには妥協しない職人肌な部分もある正太郎さん。彼は自身のことをどう考えているのだろうか。
天才が思う天才の人とは
――正太郎さんが思う「天才」とは、どのような人ですか?
正太郎「なにかに対して、一生分の情熱を持って続けていく事ができる人だと思います」
――具体的に、どんな人の名前が挙がりますか?
正太郎「天才というより、僕が尊敬しているのは、両親、未踏ジュニアPMの西尾さん、『数学ガール』という書籍シリーズの著者である結城浩先生、ホーキング博士、アインシュタイン、テオ・ヤンセン(オランダの彫刻家、物理学者)です。
そういう、目標としている人の中に、未来の自分がちゃんと入れるようになりたいです」
――正太郎さんよりも年下で高い技術を持った子もいると思いますが、焦りなどを感じることはありますか?
「高い技術を持つ人を見たら、その人が子どもであっても大人であっても目標にします。他の人と比べるより、今までの自分を高く超えていきたいという気持ちがあります。前の作品を作った自分が、最大のライバルです」
平野正太郎さんはなぜ天才なのか
――正太郎さん自身はなぜ天才なのだと思いますか?
「好きなことがあるから、それをひたすらやってきただけです。両親が、僕のモノづくりを応援してくれて、好きな事を自由にさせてくれているのもあると思います。
すごいなと思う人はたくさんいます。でも、一生の間ずっと、ひとつの事に熱中して、それを誰かの役に立たせられる人になりたい。未来の自分がそういう人になれていたら尊敬したいし、天才だと思います」
編集後記
彼の創作意欲とひたむきさが強く印象に残る取材だった。とにかくいいモノを作りたい、自分の作ったモノで誰かを楽しませたいというシンプルな思いが原動力になっているようだ。これからも豊かな想像力と創造性を活かして、さまざまな作品を世に送り出していくだろう。
KIDSNA編集部