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【フランスの教育】平等主義でおこなうエリート教育
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さまざまな歴史や風土をもつ世界の国々では、子どもはどんなふうに育つのでしょうか。この連載では、各国の教育や子育てで大切にされている価値観を、現地から紹介。今回は、翻訳家でエッセイストの中島さおりさんに話を聞きました。
世界観光機関の「World Tourism Barometer」によると、2018年にフランスを訪れた観光客は、世界最多の8940万人。
文学、音楽、芸術、食、ファッションなど文化の発信地として、世界中の人々を魅了していますが、デカルトやルソー、サルトルなどを生んだ”哲学”を発展させてきた国でもあります。
「18世紀に信仰よりも理性を重んじる啓蒙思想が発達。ルソー、ヴォルテール、モンテスキューなどの哲学がフランス革命の基盤となり、フランスの近代を築きました。
現在でも、『哲学を通じて自由に考える市民を養成する』姿勢が教育の中に生きています」
こう語るのは、フランス文学者でエッセイストの中島さおりさん。フランスではどんな風に教育が行われているのでしょうか?
ロジカルな思考訓練のための哲学
「他の国と比べてフランスの教育で特徴的なのは「哲学」です。
他国で哲学を学ぶ場合、アリストテレスやプラトンなど哲学者の名前を覚え、彼らがどのような思想を持っていたか、という”哲学史”を学ぶのではないでしょうか。
フランスでは、哲学を”論理的に考えるための思考訓練”と捉えています。もちろん、哲学者の名前や思想を知識としては教えますが、『哲学者の思想を用いた自身の考えを導き出す』方法として学ばれています。
高等学校教育の修了を認める国家試験”バカロレア”の初日は、フランス教育において非常に象徴的である、哲学からはじまります。
2019年、バカロレアの哲学の設問は、『時から逃れることはできるか』『労働は人々を分断するか』『義務を認めることは自由を諦めることか』といったものでした。このような問題を、おおよそ4時間かけて論述します。
さらに、論述の仕方も特徴的で他国の小論文では、自分の意見をひとつ論じればいいことが多いですが、フランスの場合は、自分の意見と、それに反する意見のふたつを論述しなければなりません。
『自分の意見であるAと、反する意見Bを対比させた結果、Aが優れている』という書き方もよいのですが、より推奨されているのは『AとBを総合した結果、Cとなる』という書き方。
少なくともふたつの意見を総合してよりよい結論を導く弁証法が回答時の基本となっています。
反対意見も含めよりよい結論を導くために、異なる立場の人の意見を考える思考訓練を自然におこなっているから、フランス人は議論好きという特性を持っているのかもしれません。」
哲学はフランスの教育の要ですが、採点する人によって点数のつけ方が異なるため、公平さが担保できていないと問題視されている面もあると中島さん。
「哲学の授業は、あるテーマに対して先生が導きながら生徒同士が討論して行うようです。議論の答えはもちろんひとつではありません。
『論理がきちんと説明できている』など一応の採点基準はありますが、答えが一つでないがゆえに学校の授業で高得点続きだった子どもが、バカロレアでは採点官が違うため、よい点数が取れなかったということが、往々にしてあるのです。
近年では人によって”正解”の異なる哲学などの文系科目よりも、正解が決まっている理系科目の方が重視される傾向もあります。
ですが理系科目においても、論理的に解を組み立てていく論述の力が重要視されていることもまた事実です」
無償の教育からエリートを育てる
バカロレアには”普通”、”技術”、”職業”の3種があり、建前上はいずれのバカロレアでも大学進学が可能ですが、実際には”普通バカロレア”の取得が大学進学に最も有利な条件になります。
「フランスはバカロレアの結果次第で人生が大きく左右します。なぜなら取得したバカロレアの種類、持っている卒業証明書の種類によって就ける仕事が変わってくる、学業成績と仕事が直結するディプロマ社会だからです。
また、エリートが牽引する社会でもあります。元大統領のシラク氏やオランド氏、現大統領のマクロン氏のほか、多くの首相や高級官僚を輩出する名門”フランス国立行政学院(エナ)”。
大学、大学院の卒業生から、毎年100人弱の優秀な学生だけを選抜する非常に難しい学校です。
トップエリート校であるフランス国立行政学院は、職業教育をする”グランゼコール”のひとつ。バカロレアの上位成績者の多くはグランゼコールで経済、理工、政治、人文科学系のエリートとして高度な職業専門教育を受けます。
学業のできるエリートがトップに立ち、反対に、バカロレアという高卒証明書がなければ、仕事に就くことすら難しい。
勉強ができることを重視し、エリートを育てる反面、フランスにはその競争に誰でも参加できるように『すべての子どもに同質の教育を与える』という理念があり、3歳から高校まで義務教育は無料です。
フランスの教育の入口である、3歳から始まる”保育学校(エコールマテルネル)”の教育について中島さんはこう語ります。
「お遊戯的というよりは知育的な観点で、色塗りや、紙の切り貼りなどを行います。ノートが用意され『大きい方から並べなさい』といった順列なども学び、小学校前に入学するまでには、数字が読めように勉強します。
読み方を勉強するのは小学校1年生。アルファベットだけ知っていても言葉にならないので、その前段階であるABCは保育学校の時点でしっかり覚えさせておきたい、と考えています。
塾産業が発達していないため、子どもの勉強は保護者が見ることになります。しかし、子どもの勉強に時間を割ける保護者と、そうでない保護者間で、子どもの学力に差がついてしまう。保育学校で一斉に習えば、差がつくことがなく公平を期すことができるのですね。
しかしこういう足並みをそろえるという意味での平等主義から来る迷走もあり、宿題の面倒を見られる親と見られない親で差がつくため、小学校では宿題を廃止するケースもあり、フランスの子どもの計算力や書く力はガタ落ちしたりしています。
小学校では子どもたちの学習意欲を高めるために、”ボンポワン”というものを使うことも。
書き取りが上手にできたり、足し算の問題が全部できたりすると、ピンクの紙を1枚もらってきます。子どもたちはそれを大事にストックしておき、5枚たまると絵のついたカードを1枚と交換できるというシステムです。
「日本と比べると授業時間が短いため、家庭科などの授業はありません。理科室や音楽室もなく、音楽は声楽がメインで、高校になると随意選択なります。
美術では、先生はいろいろな工夫を取り入れた授業を行っていますが、これも高校では随意選択。学校ではあまり芸術教育は優先されていません。
ただ、フランスは文化が発展してきた国ですので、美術的なセンスは公教育からだけでなく、美術館など街中から学ぶことができるのかもしれません。
あとは課外活動。パリ市では小学生までは無料で習い事ができる制度があります。登録しておけば、4時半頃、授業が終わったあとにバレエやチェス、柔道などの先生が学校に訪れ、子どもたちに教えてくれます。
もちろん私立のバレエ教室やアトリエに通わせたいということであれば、費用はかかりますが、一般的には無料かつ学校から移動することなく習い事をすることができます。
音楽や舞踏に関しては、”コンセルヴァトワール(公的機関)”が安価で質の高い教育を提供しています。お金がなくても、いろいろな興味関心を伸ばしていくことができるわけです」
一貫したカリキュラムで国民を底上げ
すべての子どもに教育を行き渡らせることを理念とするフランスの教育は、日本だと文部科学省に当たる、”国民教育省”が基幹となって行います。
「中央集権国家の名残が強いフランスでは、教員採用に至るまで国が実施しています。当然、カリキュラムは国で定められていますが、どのように学ぶかは先生の裁量に委ねられています。
決められたカリキュラムを教えれば、学校内の同じ学年でも教科書が異なることもありますし、教科書を使わないこともあります。」
近隣国のイタリアではレッジョエミリア教育やモンテッソーリ教育、ドイツではシュタイナー教育など、子どもの主体性を尊重する教育が行われています。
フランスでも、子どもたちの生活や興味を出発点とした自由な表現による学習法、”フレネ教育”があります。
セレスタン・フレネ氏が始めたこの教育は、子どもたちが書いた作文を教材として使う”自由作文”や、絵画、演劇、木工、畑仕事、動物飼育などができる環境を整え、子どもの興味から学びを広げます。
しかし、フランスの教育制度上、カリキュラムに則さない教育法は浸透しづらく、その普及率は高くないと中島さんは話します。
「私立の学校は、ほとんどカトリックやユダヤなどの宗教を主体とする学校ですが、教育の内容は公立校とあまり変わりません。フランスの教育は歴史的には教会が行っていました。
19世紀、共和国となったフランスは、教育の場を教会から学校へと移し、国民をみな小学校に通わせるために教育改革を行いました。
当時は、カトリックの宗教教育をする学校と、国の作った公立校がせめぎ合っていました。しかし、時代とともに宗教の力が弱まり、現在では私立校も国民教育省のカリキュラムを踏襲しています。
現在では私立校にも勢いがありますが、昔は名門といわれる学校には公立校が名を連ねていました。
また、国民教育省のカリキュラムとマッチしない学校は国から援助されず、保護者が高額な教育費を負担することになります。バカロレアを受けることもできないため、フランスではあまり普及しないといった背景があるのです」
活発な発言でも秩序を保った学習環境
一貫したカリキュラムで教育を行うフランス。子育てがひと段落した中島さんは、今年から日本語教師として現地の高校の教壇に立っています。
日本の大学でも教鞭を執っていた中島さんは、フランスとの違いにギャップを感じたと話します。
「幼児教育から発言が促されつづけているため、恥ずかしがることは一切なく、よく手を挙げます。
フランスでは、手を挙げるときは一本指。テストの点数が少し悪くても、手を挙げない子どもより、発言する子どもの方が評価されます。
ただし、何かを発言するときは必ず手を挙げるというルールが設けられるほど、フランスの教室で私語はあってはならないこと。
私はまだ一年目の新米教師なので、授業指導のチューターがついているのですが、私が気にならないほどのおしゃべりでも、『絶対にダメ』と言っていました。
日本で教えていたときは、発言しない学生たちをいかに喋らせるかということに苦労していたので、勝手であっても発言は活気があっていいことと思っていたのですが……フランスの教室では、教師が秩序を持って授業できる環境づくりが推奨されています。
遅刻も厳しく取り締まり、少しでも遅れたら教室には入れてもらえません。フランスでは、先生が子どもに対して権威がなければならないとされ、とても厳しい印象があります。
娘が一時期日本の小学校に通っていたときは、先生が生徒といっしょに給食を食べることが嬉しかったと言っていました。日本の先生は生活面のサポートもしますが、フランスの先生は教えることに集中します。
授業が終われば先生としての仕事は終わり。日本とフランスとでは、先生と子どもの距離感が異なる気がしますね。
フランスは国が教育に使っている予算は多いのですが、先生のお給料は高くないのです。それで小学校などは、ある程度の収入を得る夫を持つ女性が先生になることが多いように見受けられます。
お給料は安くても教員採用試験は難しいと言われています。中には数学など、低倍率の教科もあるのですが、先生の質の低下を防ぐために全員を採用することはしません。そういった意味では先生は尊敬されていますが、教員不足が問題です。
教育機会の均等に配慮し、その中でエリートを育てようと、質の高い教育をするフランスなので、エリート層は非常に優秀ですが、落ちこぼれてしまう層には厳しい。
ただ、バカロレアを取得したレベルのフランス人について言えば、彼らはとても論理的で、質問したことに対してまっすぐ答えが返ってくる。議論が建設的なものとなり、より深い結論を導き出すことができるように思います。
すべての国民に学校を開き、基本的な読み書きから、哲学を通した深い思考訓練まで、学業を重んじるフランス教育の成果であると思います」
<取材・執筆>KIDSNA編集部