小泉農相の「問屋不要論」大間違い…「コメが余っているかにみえて足りない」が起きる根本原因
誰も正しい需給を把握できなくなってしまった
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「令和のコメ騒動」の収束が見えない。流通科学大学教授の白鳥和生さんは「農政の『制度設計』『統計』『備蓄対策』などが時代にそぐわなくなっていることが原因だ。小泉進次郎大臣や一部企業が主張する『問屋不要論』は正しいとは限らない」という――。
歴史から見る「制度の変化」と今のギャップ
社員食堂のご飯が急にまずくなった、コンビニのおにぎりが値上がりした――。そんな変化の背景に、制度と現場の『ほころび』があるとしたらどうだろう。「コメがない」「高すぎて買えない」――2024年から2025年にかけて起きた“令和のコメ騒動”。一部スーパーでは精米棚が空になるなど、市民生活への影響が広がった。だが、「コメは余っているはずでは?」「消費は減っているのに、なぜ不足?」と疑問に感じた方も多いのではないだろうか。実はそこにこそ、今回の混乱の根本原因がある。
かつての日本のコメは、食糧管理法(食管法)によって厳格に国が管理していた。農家は全量を政府に売り渡し、政府が一元的に流通をコントロールしていたのである。これにより、供給・価格ともに安定が保たれていた。
しかし1995年の食管制度廃止と「食糧法」への移行により、コメ市場は自由化された。農家は自主流通が可能となり、JAや卸売業者による市場型取引が主流となっていった。同時に減反政策が継続され、作付け制限による需給調整が続いたが、これも2023年には完全廃止された。
誰もが正しい需給を把握できていない
こうした制度の変化の中で、コメ流通の「見える化」は次第に困難になっていく。政府が市場の需給を把握する手段は失われ、農家はJA経由に限らず、直接外食や小売業者へ販売する道も選べるようになった。それは自由で多様な流通を可能にする一方で、今回のような需給逼迫ひっぱく時に全体像を誰も把握できないという問題を浮き彫りにした。
かつての農政の大目標であった「米価維持」という理念も転機を迎えている。人口減少と少子高齢化が進む中、価格維持のための政策が、かえって“需要なき価格”を支え、構造変化に逆行しているという批判もある。もはや「米価を守る」ことと「食を守る」ことが一致しない時代になりつつある。
加えて、コメの備蓄制度や統計制度も、現代の市場構造に対応できていない。「政府備蓄米」は約100万トンあるとされるが、その多くは業務用のニーズに合致しない品種や年代のものであり、需給の緩衝材としては十分に機能しにくい。市場備蓄の流動性も乏しく、リスクに備えるセーフティネットとして設計が不十分だ。
農林水産省の米穀流通実態調査や家計調査も、旧来の「家庭内炊飯」を前提とした項目設計となっており、「食の外部化」が進んだ現在の実態を正確に把握するには限界がある。制度設計・統計制度・備蓄制度――三重の制度疲労が今回の“静かなパニック”を招いた。
コメ消費量減少だが、コンビニおにぎり需要好調
業務用(特に中食・外食)向けに多く使われるコシヒカリ系の供給が不足したことは、今回のコメ不足の一因。ただ、「炊飯米は余っているのに業務用は足りない」という表現には注意が必要だ。
実際には「用途不適合な在庫」が市場に残っているケースが多く、単純な「余剰」とは言い切れない。つまり、消費動向と供給実態のミスマッチが、見かけ上の余剰を生んでいるにすぎない。
コメの消費量は長期的に減少傾向にある――これも確かに事実である。しかし、それは家庭内炊飯に限った話であり、いまやコメは「調理して食べるもの」から「調理された状態で買うもの」へと変化している。
総菜や外食、パックご飯、冷凍米飯など、食の外部化が進む。その中で、実はコメの“調理済み需要”は底堅く推移している。2024年の家計調査によれば、1世帯あたりの調理食品(総菜)支出は15万5977円で過去最高を更新。冷凍調理食品や外食も伸びており、「おにぎりや弁当としてのコメ需要」は想定以上に健在なのだ。