「難易度最強」だがこれを習得した時の恩恵は計り知れない…ブッダが説く「今よりもっと幸せな人生を送る」方法
自分の心の中にいる「くまのプーさん」を見つける
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豊かな人生を送るにはどうすればいいのか。スウェーデン出身でタイで僧侶となったビョルン・ナッティコ・リンデブラッドさんが修行を通じて学んだことをまとめた『私が間違っているかもしれない』(サンマーク出版)から一部を紹介する――。
「1日1食」で頭の中が食べ物のことばかりに
ある日、私は瞑想堂に座ってその日の食事を待っていた。1日1食で生活し、実質的に1日のうち23.5時間も断食していると、食べ物のことばかり考えてしまいがちになる。
私も一日中、食事のことを頭に浮かべていた。しかもその日のビュッフェには、もっちりとした米にココナッツクリームを混ぜて炊いた、私の大好物があった。おまけに、太陽の光をたっぷりと浴びてよく熟した新鮮なマンゴーまである。
そのデザートのことを考えると、その日の食事をただ感謝して待つという僧侶らしい謙虚な態度を取ることは難しくなった。
自分の番が来るまで、その料理が残っているかどうかが気がかりでしかたがない。私は新米の僧侶だったので、料理を皿に盛りつける順番はかなり後のほうになる。私は食べ物以外に何か考えることがないかと、落ち着かない気分で周りを見渡した。すると、右手のほうに、派手な色合いのプラスチックの筒が目に留まった。
寄付で賄われている僧院の経済
ストックホルム商科大学では、市場経済が繁栄するためには、その市場に関わる誰もが同じデータにアクセスできるように、情報の自由な流れがなければならないと教えられた。
その点からすると、この僧院の経済は様々な面でとても不完全だった。
僧院の経営は、すべて周りの人たちからの寛大な寄付や施しによって賄われていた。私たちからは、人々に何も求めなかった。このルールの唯一の例外は、「僧院のために何かがしたいが、どうすればいいかわからない」と誰かに尋ねられたときにそれに対応することだった。
とはいえほとんどの場合、人々は私たち僧侶にとって必要だろうと自分で判断したものを持ってきてくれた。その結果、生活用品などが大量に持ち込まれていた。文字通り、トイレットペーパーは山のようにあった。
だから僧院は、それを有効活用するための斬新な方法を常に模索しなければならなかった。私たちの創造性は、限界まで試されていた。