16歳と18歳の兄は「硫黄島の激戦」から逃れられなかった…11歳の少女が見た「故郷が消えた日」最後の光景

16歳と18歳の兄は「硫黄島の激戦」から逃れられなかった…11歳の少女が見た「故郷が消えた日」最後の光景

疎開船に乗った母親たちは息子を想い、涙を流した

太平洋戦争で激戦地となったのが、小笠原諸島南部にある硫黄島だ。アメリカ軍による攻撃が激化する中、島民たちは故郷を離れることを余儀なくされた。北海道新聞記者・酒井聡平さんの著書『死なないと、帰れない島』(講談社)より、一部を紹介する――。

小さな孤島に米軍の戦闘機が襲い掛かる

ウオオオオオオオン……ウオオオオオオオン……。

島民約1000人が豊かに暮らす南洋のパラダイスの青空を引き裂いたのは、不気味な金切り声のような空襲警報のサイレンだった。

1944年6月15日午後1時50分。米艦上機が南方からグワン、グワンとプロペラの轟音を鳴らしながら大挙して硫黄島に来襲した。その数、60機。爆弾投下や機銃掃射を繰り返した。

ドーン、バーン、ダダダ、ガガガ――。

耳をつんざく着弾の音は、主に島南部の千鳥部落方面から響いた。立ち上る無数の黒煙は、東京都の港区ほどしかない20平方キロメートル程度の孤島のどこにいても見えた。

米軍の狙いが千鳥部落近くに広がる飛行場だったのは明らかだった。

この日は、硫黄島からおよそ1000キロ南方のサイパン島の「D-day」(上陸作戦日)だった。約6時間前、米軍はサイパン島に侵攻し、日本人の女性や子供らを巻き込んだ地獄絵図のような地上戦が始まっていた。サイパン島の日本側守備隊を支援する硫黄島の航空部隊や飛行場を壊滅させることはサイパンのD-dayの一環だった。

人形を抱きしめながら慌てて防空壕へ

サイレン音が響いたとき、11歳の少女、奥山登喜子は千鳥飛行場から数キロ北側の玉名山部落の自宅前で遊んでいた。硫黄島村大正国民学校の開校記念日で休みだったこの日、地面に輪を描いて石を投げる「丸飛び」に夢中になっていた。

硫黄島村の中心地である元山部落から大勢の兵士たちが全速力で登喜子の前を駆け抜け、海岸に繫がる坂道に向かっていった。その中に、いつも「トキ坊、トキ坊」と言って頭を撫でてくれる顔なじみの年配の兵士がいた。自分の父親くらいの年齢の兵士は走りながら、息を切らせ、血相を変え、登喜子に叫んだ。

「今すぐ防空壕に隠れなさい!」

直後、轟音を響かせながら一直線に向かってくる戦闘機が見えた。慌てて登喜子は、大好きな女の子の人形を抱きしめながら防空壕に向かった。

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2025.07.17

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