20人いた子供のうち成人できたのは10人だけ…「両親も最初の妻も失った大作曲家」バッハの壮絶な人生
転職をちらつかせた駆け引きで給与交渉をする一面も
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ドイツの作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハの人生は壮絶だった。声楽家であり、YouTubeチャンネルでクラシック音楽や声楽について解説している車田和寿さんは「幼い頃に両親を亡くし、30代で最初の妻を亡くした。子供は20人いたが、成人したのは10人だけだった」という――。 ※本稿は、車田和寿『涙がでるほど心が震える すばらしいクラシック音楽』(あさま社)の一部を再編集したものです。
日本にいる「小川さん」と同じ姓
バッハとは日本語に訳すと「小川」という意味で、日本にいる小川さんと同じ姓です。音楽一族に生まれたバッハは、父、祖父はもちろん、親せきもほとんどが音楽家でした。そしてバッハは家族から、音楽の手ほどきを受けて育つのです。さらに音楽と同時に神学の教育を受けたことは、バッハという人間に大きな影響を与えました。
バッハ博物館では、彼が所蔵していた約80冊の神学書コレクション(レプリカ)を見ることができます。80冊というと読書愛好家にとっては大した数ではないかもしれませんが、当時、本とは貴重なものでした。しかも、一冊の厚さが10センチ以上に及ぶ分厚い神学書をコレクションしていたのです。アイゼナハ(バッハが生まれた街)という土壌が、後に「音楽の父」と呼ばれるバッハの人生にどれだけの影響を与えたかよく分かります。
しかし、バッハがアイゼナハに住んだのはそれほど長くはありませんでした。10歳になる頃に両親を失ってしまったためです。すでに独り立ちしていた兄に引き取られ、街を離れることになります。それから、兄がオルガニストを務める教会に出入りしては、熱心にオルガンのしくみを学び、合唱団としても演奏に参加しました。
バッハの生きていた時代が比較的古いこともあり、人間像に迫るエピソードは多く残されていません。数少ないエピソードの一つが次のようなものです。
22歳で結婚、教育熱心な父親になる
兄のヨハン・クリストフは、当時入手が困難だった楽譜を、柵の付いた本棚に大事にしまっていました。子供だったバッハにも触れることを一切禁じていたようです。しかし、バッハの音楽に対する情熱は当時からかなりのもので、部屋にこっそり忍び込んでは、月明かりで楽譜を筆写していたというのです。ついには兄に見つかってしまい、バッハはこっぴどく怒られたと想像できますが、二人の関係が悪化することはなかったようです。二人の関係は兄が亡くなるまで良好だったことが知られています。バッハはこのように熱心に勉強して、一人前の音楽家へと成長していきます。
バッハは22歳になると、マリア・バルバラという女性と結婚し、そこから7人の子供をもうけます。
バッハが兄や親せきから音楽の手ほどきを受けたことにはすでに触れましたが、自らも熱心な教育者へと成長します。後に歴史に名を残す音楽家となった、フリーデマンとエマニュエルという二人の息子には、専門的な音楽教育を授けています。それだけでなく、ライプツィヒ大学での法律や哲学、数学などの教育も受けさせています。