「壮大なネタバレ」があるほうが逆にいい…若者たちが「主人公が亡くなる余命もの映画」にハマる意外な理由
結論がわからないまま観る緊張感に耐えられない
Profile
映画の中には、主人公の余命をあらかじめ知らせる作品がある。ネタバレしてもなぜ平気なのか。関西大学文学部心理学専修の石津智大教授は「今の若者たちが『ネタバレ』を好む背景には、コストパフォーマンス・タイムパフォーマンスを良くしたいという価値観がある」という――。 ※石津智大『泣ける消費 人はモノではなく「感情」を買っている』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
若者が「余命もの」に魅力を感じる理由
最近、若者のあいだで「余命もの」と呼ばれる泣ける映画や小説が再び注目を集めています。
「余命もの」とは「余命○カ月」といった言葉で主人公の死がタイトルや冒頭で明かされているような作品群のことです。その多くは、主人公が病気などによって人生の終わりを意識しながら、残された時間を懸命に生きる姿を描いています。
こうした物語は、観る前からある程度展開の予測がついています。
「たぶん死んでしまう」「きっと泣かせにくる」
それなのに、わたしたちはなぜか、それを見届けたくなるのです。
なぜ「結末がわかっている」にもかかわらず、人は感動し、満足することができるのでしょうか? 実はこの「予測がつく」という構造こそが、強い満足感を生み出す鍵になっているのです。
この章では、「なぜ予測できる展開でも心は動くのか?」「どうすれば感情的に満たされる体験を作れるのか?」を解き明かしていきます。
「壮大な出オチ」でも楽しめる
「出オチ」という言葉があります。お笑いなどで、芸人さんが出てきた瞬間に笑いが起こり、それがピークとなってしまうことを指すようです。
それでいうと、「余命もの」と呼ばれる作品群は「壮大な出オチ」だという見方もできます。
なにしろ「主人公か、主人公の親しい相手が死ぬ」というストーリーの主要な部分が、タイトルで明らかにされているのですから。「余命もの」はタイトルを見ただけで「この作品では誰かが亡くなるという悲劇が起こる」ということがあらかじめわかります。
なぜわざわざ結末がわかっているのに楽しもうとする(もしくは楽しめそうと思う)のでしょうか?
このことと、映画やドラマを観る前、小説や漫画を読む前に結末を知りたがる「ネタバレ消費」を好む人が増えたこととは、無関係ではないでしょう。
話題の映画やドラマをすでに観た人が、まだ観ていない人に結末を知らせてしまう。このようなことをする人を英語でspoiler(スポイラー)と呼びます。spoil(スポイル)とは「ダメにする」という意味ですから、楽しみを台無しにする人、といった意味です。
人はネタバレをされると、作品を味わっている最中の感情の起伏が少なくなることがわかっています。つまり、ハラハラドキドキが減る。ある意味、当然の結果です。