「妻帯した僧侶へのお布施」より「アイドルの推し活」の方が尊い…仏教学者「アイドルとは現代の出家者である」
Profile
アイドルやアニメなど、自分の好きなモノに対する応援活動「推し活」が活況だ。仏教学者の清水俊史さんは「そこには、理論を超えた宗教的衝動の側面がある。形骸化した現代日本仏教の現状を見るに、お布施よりもアイドルに対する推し活のほうが功徳があると言える」という――。(第2回) ※本稿は、清水俊史『お布施のからくり』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
妻帯世襲という最大のタブーが許される日本仏教
日本仏教はすでに形骸化している。
釈尊は戒を保つ僧団や出家者にお布施をすれば、大きな果報があると説いた。だが、少なくとも日本仏教において、所属僧侶の清戒を保とうとする宗派は存在せず、とりわけ妻帯世襲という最大のタブーを犯しても僧籍剝奪処分にならないのは、国際的にみても日本仏教だけである。釈尊より続く伝統はすでに日本仏教においては途絶えていると結論せざるを得ない。
そもそも世の中を見渡せば明らかなように、日本仏教は在家とほとんど同じ生活を送り、釈尊の定めた基準に従えば、日本仏教の僧侶はすべて「袈裟を身にまとった在家者」にすぎない。よって、「この宗派なら、所属する僧侶は禁欲や清貧の品位を保っているに違いない」とか、「剃髪して袈裟をまとっている僧侶だから、一般人よりもお布施に値する」といった前提は全く成り立たない。
現代では、「遺産を宗教団体にすべてお布施する」と言えば、周りから「洗脳されているのか」と心配されるのがオチである。だが、もし、「恵まれぬ子供たちのために、遺産を日本ユニセフ協会にすべて寄付する」と言えば、周りから「なんと殊勝な人なのだろう」と尊敬のまなざしを得るに違いない。
このような違いが生じる理由は明白である。仏教教団よりも公益財団法人のほうが、世のため人のために役立つ、立派な存在であると世間において認識されているからである。