決してテレビ局の怠慢ではない…半世紀前の「8時だョ!全員集合」がいまだに地上波で放送されるワケ
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バラエティ番組「8時だョ!全員集合」(1969~85年、TBS系)は、いまでも「伝説の番組」として語り継がれている。どこがすごかったのか。社会学者の太田省一さんは「音楽ライブのような高揚感を演出し、シンプルで計算されつくした笑いを提供していた。こんな番組は他に見当たらない」という――。
ビートルズの前座でドリフが行った意外な行動
最近、ザ・ドリフターズ(以下、ドリフ)関連の特番をよく目にする。しかも放送はゴールデンタイム。コントの名場面集、ドリフの名作コントに現役芸人が挑戦する企画など内容はさまざまだが、昭和に活躍したお笑いタレントでいまだにこれほど“現役感”のある存在はほかに思いつかない。
なぜドリフは時代を超えて愛されるのか? 『8時だョ!全員集合』にその秘密を探ってみたい。
「本当のところ、新しいネタ作りに追われていた私には、迷惑な仕事でしかなかった」と振り返るのは、ドリフのリーダーである長さんこといかりや長介だ。
「迷惑な仕事」とは、1966年日本武道館で開催されたザ・ビートルズ来日公演の前座のこと。名誉だと思っておかしくないが、いかりやは違った。
観客は当然ながらビートルズ見たさに集まってくる。ほかの出演者は邪魔でしかないだろう。そう思ったいかりやは、“奇策”に打って出る。1曲だけ演奏し、最後に全員でギャグを一発やってさっさと引っ込んでしまったのである(いかりや長介『だめだこりゃ』)。その間わずか1分余り。
客席にいた「後の大物芸能人」
ドリフは元々ミュージシャンの集まりである。いかりや(ベース)がリーダーで加藤茶(ドラム)もいたバンドに、荒井注(ピアノ)、仲本工事と高木ブー(ともに歌とギター)が加わってドリフの原型が出来上がった。後に加入する志村けんも、ドリフのボーヤ(ミュージシャンの付き人)からスタートしている。
ちなみにまだ普通の高校生だった志村はビートルズの大ファンで、ドリフの出演日ではなかったが武道館公演のとき客席にいた(志村けん『変なおじさん【完全版】』)。
当時、ドリフの主な活動拠点は若者の集まるジャズ喫茶。そこで音楽に絡めてギャグやコントをやるコミックバンドとして人気を集めていた。そして少しずつテレビにも出るようになっていた。
音楽畑の出身という事実は、ドリフの笑いを考えるうえでとても大切だ。笑いには間合いとリズム、テンポの良さが必要だとよく言われるが、ドリフの場合その土台はバンドとしてともに演奏するなかで培われたものだろう。