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はんにゃ川島さんインタビュー【第1回】腎臓ガンを公表したこと、そして今
去年、はんにゃの川島さんがテレビ番組で腎臓ガンを患ったことを公表したことに驚いた人もいるのではないでしょうか。「赤ちゃんが病気を見つけてくれた」と番組内でも取材中も語っていた川島さん。病気と向き合ったご経験と家族のこと、自ら取得されたベビーサインや離乳食の資格のことなど、いろんなお話をうかがいました!
「ルミネtheよしもと」で、はんにゃのステージがあったこの日。その出番の合間に楽屋におじゃまして、川島さんにインタビューさせていただきました。にこやかに現れた川島さんは、テレビのイメージ通りのあたたかい雰囲気。話しやすそうな方だな、という印象を持ちました。
――お忙しいところ、お時間をありがとうございます。今日はよろしくお願いします!
はんにゃ・川島章良さん(以下、川島):よろしくお願いします~。
本当は公表しないでおこうと思っていた
腎臓ガンの初期ステージだった
――さっそくですが、去年「あ、はんにゃが出てる」と思ってなにげなくテレビを見てたら、川島さんが腎臓ガンを患っていたことを公表していて…。本当にびっくりしました。そのときにご家族のことを話されていたのが印象的で、ずっと取材したいと思っていました。
川島:ありがとうございます。病気のことは、本当は言わないでおこうと思ってたんです。でも隠すのもやっぱり大変で。お腹に手術の傷あとがあるので、現場で着替えるときとかね。
で、たまたま知り合いのスタッフに声をかけられて、テレビ番組「しくじり先生」への出演を決めて、そこで病気のことを公表しました。
――なぜ公表しようと思ったんですか?
川島:僕の言葉で勇気づけられる人もいるんじゃないかって考えました。それから「ガンは若い人でもなる」「保険には早めに入っておいたほうがいい」ということを自分の経験を踏まえて伝えられたらな、と。
芸人にとっては勇気がいることだった
――収録の前日はどんなことを考えましたか?
川島:めちゃくちゃ緊張しましたよ。芸人なので「公表することによって笑ってもらえなくなったらどうしよう」って不安でした。ガンっていうイメージがついちゃうかもとか、いろんなことを考えました。
――とても勇気がいる行為だったと思います。
川島:はい。公表した後の、一発目の劇場の反応がいちばんこわかったですね。笑ってもらえないんじゃないかって…。でも意外とふつうだったんです。すごく安心しました。町の人たちの反応のほうが大きく変わったような気がします。
公表することで救われた
――町の人たちの反応はどんな感じだったのですか?
川島:応援してくれる人が増えましたね。ある日、町でロケしてたら60歳ぐらいの男性が話しかけてくれました。「川島くん、僕もね、30年前に同じ病気したけど大丈夫だよ」って。すごくうれしかったです。病気を知ってもらえてキズナが生まれるというか、まさしくこれってキズナですよね、KIDSNA(キズナ)だけに。
――ありがとうございます(一同爆笑)!
川島:あと大阪マラソンで走った時も、30代ぐらいの女性が横に走り寄ってきて「私も今年ガンになっちゃってね」って、シューって横を走っていったんです。それがめちゃくちゃ早くて(笑)
そういう町の人たちの反応は、やっぱりうれしいですね。公表することで自分も救われたし、気持ちが楽になった気がします。
「私もこれから出産するんだから一緒にがんばろうよ」
ガン宣告を受けたときのこと
――病気の宣告を受けたときは、どんな状況でしたか。
川島:「今か…」って思いました。その時、プロポーズしようとしてたんですよ。温泉宿で、彼女(現在の奥さま)がお風呂から上がるのを待っていたときに、病院の先生から電話がきて「後日、マネージャーとご両親と一緒に病院に来てください」っていわれて。ただごとじゃないなって感じて、すぐにききました。そしたら「腎臓ガンの初期です」っていわれて…。そう告げられた瞬間はほんときつかったです。
ショックすぎて、部屋の中をぐるぐる歩きまわったり、その夜は雨だったんですけど窓の外をぼんやり眺めたりしました。実際は20分ぐらいの時間が、何時間にも感じました。
――どんなことを考えましたか?
川島:頭が空っぽになったというか…。そのときはもう子どもが生まれることがわかっていたので、子どもに申し訳ないなって感じました。あと、奥さんにも。子どもが生まれてきても俺死んじゃったら意味ないしって…。正直、「死」も頭をよぎりました。
――つらい時間だったと思います。そのことを奥さまにどう伝えましたか?
川島:このまま病気のことを隠して俺と結婚しないほうがいいんじゃないかとか、ぐるぐる考えたんですが、やっぱり本当のことをいいました。そしたら、わーって泣くかなって想像してたんですけど、「私もこれから出産するんだから一緒にがんばろうよ」っていってくれて…「うわ、この人強い」って思いました。
病気のことを忘れられる瞬間
――奥さまは病気をどのように支えてくれましたか?
川島:いちばん支えられたのは、手術までの期間、2か月ぐらいあったかな、その期間ずっと「ふつうに」接してくれたんですよ。入院している時はやっぱり病気のことを考えたり調べたりしちゃうんですけど、奥さんはふつうに接してくれたので、その時だけは病気のことを忘れられました。こういうのが本当のKIDSNA(キズナ)?っていうか(笑)
――ありがとうございます(笑)他に支えてくれた人はいましたか?
川島:やっぱり、相方(はんにゃの金田さん)ですかね。相方もやっぱり、ふつうに接してくれました。そのときは、周囲にばれないようにと考えて正月休みに手術して、すぐに仕事に復帰したので、相方にもすごく支えてもらったと思います。
ふつうの生活のありがたさ
――今でも不安になることはありますか?
川島:ありますよ。でもそこは考えても仕方ないから、とにかく悔いがないように毎日を大切にしようって思います。でも忘れちゃうんですよ、そういうことって。手術したあとは、やっぱりお腹を切ってるからひとつひとつの動作が大変で、ふつうに生活できることのありがたさを実感したんですけど、それもやっぱり忘れちゃう。だからこうしてインタビューを受けて、今そのことを思い出してます。
絶対毎日を大切にする!とか無理ですよね。きれいごとというか。だからこうしてちょいちょい、なにかの節目に思い出したいですね。1週間に1回でもいいから、毎日を大切に生きたいなってふわっと思うようにしています。
――しあわせだなって思う瞬間はどんな時ですか?
川島:なんだろうなあ…。やっぱり、家族3人でごはん食べてて、その中で、自分が作った離乳食を娘が食べてくれたとき、とか。めちゃくちゃうれしいですね。あー食べた!って。食べてくれるってことだけですごいしあわせなことなのに、それを完食してくれて、「もっとほしい」ってサインを送ってくれたりするときは最高ですよ。
――川島さんは「ベビーサイン・パパアドバイザー(日本ベビーサイン協会認定の講師)」ですもんね。ご家庭でもベビーサインを使うんですか?
川島:はい、使いますよ!ベビーサインで娘とコミュニケーションが取れた瞬間とか、めっちゃうれしいです。たとえばね…。
この子のためにがんばりたいって思った
と、実際にベビーサインも披露してくれた川島さん(これは「パパ」というサインだそうです!)。1歳7か月のかわいい娘さんのことを語る時は、本当にうれしそうです。実際に川島さんは 「離乳食インストラクター1級」「幼児食インストラクター」「だしソムリエ1級」などの資格を取得されていて、それは、娘さんだけではなく奥さんのためにも取得した、とのこと。
次回の記事では、川島家の夫婦関係のことや、娘さんのことなど、「家族」についてのお話をたっぷりお伝えします。
文: KIDSNA編集部
写真: 向山裕太(SHUTTER)
はんにゃ単独ライブ「てんや はんにゃ わんや」
日時:2017年3月26日(日)
19:00開場/19:30開演
前売3,500円/当日4,000円
会場:ルミネtheよしもと
チケットよしもと予約・問合せ
tel:0570-550-100
[Yコード:999050]