板前時代は月収6万円→体重96kgでスナックをクビ…ノリで生きる女性(27)が上京し「本気になった」意外な職業
周りが敷いてくれたレールに自分の気持ちを合わせた
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元号が令和になってから上京した人にその理由を尋ねるシリーズ「令和の上京」。第7回は、愛知県出身の女子プロレスラー、香藤満月さん(27)。寿司屋の娘として生まれ、憧れの料理人になった香藤さんの生き方を変えたのは、コロナ禍だった。流れにまかせて「ノリ」で上京し、リングに立ったと語る香藤さんに話を聞いた――。(取材・構成=ノンフィクションライター・山川徹) (取材日:2025年5月28日)
人生になかった選択肢「プロレスラー」
プロレスラーになるなんて選択はまったくなかったんです。24歳まで――2022年の夏までは、プロレスのことをまったく知らなかったし、見たこともありませんでした。
私がプロレスラーになれたのは、周りのみなさんにレールを敷いてもらえたからなんです。自分の気持ちを固めて覚悟するというよりも先に、私の前にはリングに上るという道ができていました。みんなに背中を押されて、一歩一歩進んだら、プロレスラーになれたという感じで。いま私がここにいるのは、運が良かったからなんです。
寿司屋の娘は料理人の道へ…
出身は、名古屋から車で南に30分ほどのところにある愛知県知多市です。お父さんがお寿司屋さんだったので、小さい頃は、毎晩、常連さんと並んでカウンターでお寿司を食べていました。そのせいか物心つく頃から将来は料理に関わる仕事をするんだろうなと思っていました。名古屋市にある調理師免許が取れる高校を卒業して、念願だった「なだ万」に就職したんです。
なだ万は、歴史があるだけではなく、海外にも店舗がある老舗料亭です。なだ万出身の板前が宮廷料理人になったと聞いて、私もそんなふうになりたいと憧れていました。
配属されたのは、名古屋東急ホテル内にある「名古屋なだ万」。1年目は、八寸場という煮物や先付けをつくる部署の一番下っ端として修行しました。板前で女性は私だけ。あと25人はみんな男性でした。女扱いされたくなくて、男性の新人と同じように怒ってもらいました。
3年目からデザート場をひとりで担当して、ちょっとずつ技術を身に付けて、少しずつ立場も上がっていきました。なだ万では、10年くらい続けて、やっと一人前として認められます。私も10年はがんばろうと思っていたのですが……。