独自フォントを"手書き"し清書する「トヨタ文字」はもうないが…AI時代に残すべき「資料づくりの本質」
ツールが変わっても人間が明け渡してはいけないものがある
Profile
ビジネス資料づくりにAIツールが浸透しつつある。注意点はなにか。著書『言葉の解像度を上げる』がヒット中の浅田すぐるさんは「AIを利用すれば作業効率は高まるだろう。だが、資料づくりを通じた“自分の思考の整理”までAIに明け渡してはいけない」という――。
トヨタの地下倉庫で見つけた「手書きの資料」
今からちょうど20年前の2005年。
私は新卒でトヨタ自動車(以下、トヨタ)に入社した。半年間の新入社員研修を終えたあと、海外部門のマーケティング部署に配属された。
あるとき、担当案件の商流や経緯の確認のため、過去の書類を探し出してくる必要があった。地下の倉庫に潜り、発掘調査のような感覚で楽しんでいたときにふと目に入ったのが、1枚の「手書きの資料」だった。
自席に持ち帰りその資料を読んでいると、横からチラチラと覗き込んでくる人がいる。しばらくすると声をかけられた。
「わー懐かしい、その資料、私が清書したのよ」
独自の書体「トヨタ文字」で清書
セリフの主は、1970年代からトヨタで働いている大先輩だった。70年代といえば、ワードも、エクセルも、パワーポイントも、それどころかパソコンもワープロもまだなかった時代だ。
いったいどのように資料を作成していたのか。
担当者は、まず手書きで資料を書く。その後、それを別途「(手書きで)清書する」担当がいて、清書にあたっては、なんと字体も統一されていたというのだ。
記憶が曖昧で正確な表現は忘れてしまったのだが、確か「トヨタ文字」「トヨタフォント」「トヨタ書体」といった言い回しをしていて、ひたすら驚愕したという感情だけは、今も思い出すことができる。
もし当時のことを知っている人がいたら、ぜひSNSでコメント付きで紹介するなどして教えてほしい。この記事では、いったん「トヨタ文字」で表記を固定して書き進めていく。