「愛子天皇」待望論はこれで最高潮になる…専門家が指摘「25歳・大の里人気と愛子さま観覧の可能性」
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「愛子天皇」待望論は今後どうなるのか。『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)を上梓した島田裕巳さんは「愛子内親王が若き新横綱の相撲観戦に訪れれば、世間の『愛子天皇』待望論はさらに高まるに違いない」という――。
大の里が魅せた大相撲5月場所
両国国技館で開かれた大相撲5月場所は大いに盛り上がった。
特に千秋楽結びの一番には注目が集まった。すでに大関大の里は4度目の優勝を決め、横綱昇進を事実上確定させていた。にもかかわらず、全勝がかかっていたため、横綱豊昇龍との対戦は、この場所最注目の大一番となったのである。
大の里がデビューしたのは、わずか2年前のやはり5月場所だった。その後、すべての場所を勝ち越し、初土俵以来13場所での横綱昇進は、従来の記録を大幅に上回る画期的なものだった。
ところが、それまでふがいない場所を送ってきた豊昇龍が奮起し、大の里の全勝優勝を阻はばんだ。ファンは全勝優勝を期待したが、大の里が来場所昇進して以降の両横綱の対戦に期待をもたせる一番になったことは間違いない。
強い横綱がいてこその大相撲である。私も、ここのところ、大相撲のテレビ観戦から遠ざかっていたが、今場所は、途中から欠かさず観戦した。
あるいは愛子内親王も、もしかしたら私と同じように、5月場所が盛り上がるにつれて、幕内の取り組みに注目するようになったのではないだろうか。
愛子内親王の4歳からの相撲熱
そうした考えが浮かぶのは、子どもの頃の愛子内親王は相当の相撲好きだったからである。女性の相撲ファンを「スー女」と呼ぶのが最近のはやりだが、愛子内親王はまさにそのスー女の先駆けだったのである。
4歳の頃にはすでに相撲に熱中していて、力士の四股名だけではなく、下の名前やその出身地を暗記していた。幼稚園から帰ると、すぐに衛星放送をつけ、幕下の取組から熱心に観戦していたという。
2006年に、父親である天皇が愛知万博を訪問すると聞くと、「琴光喜関の出身地の愛知県」と答えたという。愛子内親王は元大関の琴光喜と元横綱の朝青龍のファンで、両親を相手に相撲の決まり手を再現することもあった。
ただ、琴光喜と朝青龍が引退してしまうと、愛子内親王の相撲熱も醒めたとも言われている。その相撲熱が、大の里の優勝と横綱昇進で再燃されることになるのかどうか、これは注目されるところである。
というのも、愛子内親王にとっては曾祖父にあたる昭和天皇は大の相撲好きとして知られているからである。