真剣に努力したことがある人なら分かる…『スラムダンク』の強豪校監督が残した名台詞の"真の意味"
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「努力は必ず報われる」と言う人もいれば「報われるとは限らない」と否定する人もいる。一体なぜなのか。武蔵野大学教授の荒木博行さんは「実は、努力のアウトプットとして得られる『報酬』には4種類ある」という――。 ※本稿は、荒木博行『努力の地図』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
「ここまでの努力は何だったんだろう」
パリ五輪のことはまだ記憶に新しい人も多いだろう。その競泳女子100メートルバタフライ日本代表だった池江璃花子選手のコメントに注目して、考えを深めていく。彼女はレース後に次のような言葉を語った。
ここまでの努力は何だったんだろうと思うし、頑張ってきた意味はあったのかなと、そんな気持ちでいっぱい。自分なりに一生懸命やってきたつもりだったが、何も変わってなかった。本当にいつまで苦しまなければいけないんだろうと思う。
この言葉は、準決勝において全体で12位に終わり、無念の敗退が決まった直後のインタビューで語られたものだ。
池江選手は白血病から見事な復活を果たしたが、パリ五輪では目指していた決勝進出は絶たれ、望んでいたメダルも叶わなかった。そして、「ここまでの努力の意味はあったのか?」という発言に至る。
池江選手にとっては「報酬=勝利」
ここで彼女が言っている「努力に意味がある」という発言を構造的に捉えてみよう。
「練習を頑張る」というインプット(努力)をすれば、「パリ五輪で勝つ」というアウトプット(報酬)が返ってくる。これが、彼女の発言からうかがえる「努力に意味がある」という状態だ。あえて構造を示すまでもなく、シンプルだ。
しかし、この「意味」という単語はそんなにシンプルではない。なぜなら、多くの人は、おそらく彼女の発言を聞いて「そんなことはない。あなたのここまでの努力には意味があった」と言ってあげたくなったはずだからだ。ここに彼女と私たちが認識する「意味」という単語のズレがある。
実際にインタビュアーも、言葉を選びつつ「培っていたものを出そうとされていました。その姿は私たちに届いたと思います」と言って、努力には意味があったというニュアンスのフォローを入れた。
つまり、彼女とインタビュアー(もしくは私たち)にとって努力の意味は、図表1のようなズレがあるのだ。このズレはどこから来るのか。