長嶋茂雄が王貞治と2人で食事をしたのは1回だけだった…日本プロ野球を牽引したONの知られざる関係
長嶋茂雄とは「昭和の時代」そのものだった
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「ミスタープロ野球」として親しまれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が3日、亡くなった。89歳だった。ライターの広尾晃さんは「王貞治との関係や金田正一投手との物語など、エピソードの宝庫といえる人だった。こんな野球人はもう出てこないだろう」という――。
中学時代の寄せ書きに残したすごい文章
長嶋茂雄が引退して50年、病に倒れてからでも21年の歳月が経った。平成以降の世代にとって「元プロ野球選手というだけの長嶋の死が、なぜこんなに大きな扱いになるのかわからない」という声もあるようだ。
長嶋茂雄は単なる野球人ではなく、高度経済成長に沸く「昭和の時代」そのものだった。
「昭和の大スター」長嶋茂雄について、エピソードで振り返ろう。
長嶋茂雄は、1936(昭和11)年2月20日、千葉県印旛郡臼井町(現千葉県佐倉市)に生まれる。生家は農業だが、父は役所に勤めていた。学年で言えば野村克也、仰木彬などが同世代に当たる。芸能界では美輪明宏、蜷川幸雄、八名信夫などなど。
佐倉中学に入って、本格的に野球を始める。当時、身体が小さく「ちょろ」と呼ばれていたが、中学時代に野球の才能が開花する。佐倉中学は印旛郡大会で優勝。長嶋は遊撃手、主将としてチームを率いた。
友の寄せ書きには「明日の事を思い煩うな、明日は明日みずから思い煩わん。(中略)何もかもはっきりとわかる日、正しい者、真面目に努力する者のみが栄える歓喜の世界がやがて来ませう(旧かな)」と熱い思いを記している。