無痛分娩も帝王切開もできず、産後も苦行が続く…「多くの妊婦が死に至る」江戸時代の過酷な出産風景
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江戸時代、女性たちはどのように出産していたのか。歴史作家の河合敦さんは「非科学的なお産術が信じられていて、妊婦は出産中も出産後も横になれず座り続けなくてはならなかった。この苦行は数週間続いたこともあり、妊婦の死亡率は高かった」という――。 ※本稿は、河合敦『禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿』(扶桑社文庫)の一部を再編集したものです。
今よりずっと多産だった江戸時代
令和6年(2024)8月1日現在、日本の人口は1億2385万人(総務省統計局概算値)。1年前よりなんと59万人も減ってしまっているのだ。原因はいうまでもなく少子高齢化。高齢者が死ぬのは人間の定めなので仕方ないけれど、問題は子どもが増えないことである。
政府は子育て支援に取り組み、いろいろと旗を振っているのに、令和元年に生まれた子どもはたったの86万4千人。わずか50年前には200万人を超えていたのだから、その減り方のすさまじさには驚かざるを得ない。
将来への不安、子育てより楽しい娯楽の増加など、さまざまな要因が重なって、いまの日本は女性が子どもを産みたいという気持ちの持てない社会になってきているのだろう。
では、江戸時代の女性は、一生のあいだに何人ぐらいの子どもを産んだのだろうか。
残念ながら、正確な統計は存在しない。ただ、当時の諸記録から類推すると、独身で一生を送る女性は少なく、結婚すると生涯に5人程度は子を産んでいたと思われる。
避妊技術が不完全で、堕胎も多かった
しかし疱瘡や腸炎、結核といった病気により、生まれた子の多くは幼くして死んでしまい、成人できるのは半分程度だったと考えられる。衛生状態も悪い当時のことだから、出産時の死産も多く、妊婦が亡くなってしまうケースも多々あった。
また、堕胎や間引き(生まれてすぐ殺害)も多かった。避妊の技術が極めて不完全だったこともあり、夫婦生活を続けていれば、女性は何度も妊娠を繰り返すことになる。とはいえ、多くの子どもを育てる経済力がない夫婦もいるだろうから、彼らは堕胎薬や産婆の力を借りて生まれてくる子を葬ってしまったのだ。
ちなみに、堕胎薬の中の「朔日丸」は、避妊薬としての効果も信じられていた。女性が生理の1日目に飲むと妊娠しないとされた。ただ、かなりの劇薬が使われていたようで、これを飲み続けると一生妊娠しない体になってしまうともいわれていた。
幕末になると「茎袋」と呼ばれる動物の皮でつくったコンドームも西洋から伝わってきたが、使用例はほとんどなかったと思われる。遊女などは紙を丸めて膣に入れ妊娠を防いでいたというが、効果ははなはだ疑問であろう。