誰でも自然に「感性」が引き出されるアートプログラム【臨床美術】

誰でも自然に「感性」が引き出されるアートプログラム【臨床美術】

触る、嗅ぐ、見る、味わう、聞く……感じることから始まる「臨床美術」。元々は認知症の症状改善のために考案されましたが、子どもの感性教育への効果が期待され、教育現場にも導入されています。臨床美術は子どもに何をもたらすのでしょうか?臨床美術士の資格認定・人材育成を行う日本臨床美術協会に取材しました。

「自由に絵を描いていいよ」

そう言われて戸惑う子どもの姿を見たことはないだろうか。

子どもの五感を刺激し、感性を育むためのヒントになるのが、医学や福祉と連携し、創作活動を通じて脳の働きを活性化させる「臨床美術(クリニカルアート)」だ。

臨床の現場で使われているアートとは家庭や学校の授業で行うものとはどう違うのか、そして子どもにとってどんな効果をもたらすのか。

今回は、日本臨床美術教会常任理事の蜂谷和郎さんと、臨床美術をはじめとした「美術と子どもの関わり」を研究テーマとする東京家政大学教授の保坂遊さんにお話をうかがった。

左:蜂谷和郎(はちや・かずお)/彫刻家、日本臨床美術協会常任理事、臨床美術学会常任理事、臨床美術士。東京藝術大学 美術学部彫刻科卒業。臨床美術士養成講座や、子ども造形教室ダ・ヴィンチクラスの講師を務める。 右:保坂遊(ほさか・ゆう)/東京家政大学 子ども学部・子ども支援学科教授。乳幼児(3歳未満児)に対する臨床美術を導入した造形表現カリキュラムの構築 国内共同研究を行う。共著に『コンパス保育内容表現』(建帛社)、『子ども学総論』(日本小児医事出版社)、など。
左:蜂谷和郎(はちや・かずお)/彫刻家、日本臨床美術協会常任理事、臨床美術学会常任理事、臨床美術士。東京藝術大学 美術学部彫刻科卒業。臨床美術士養成講座や、子ども造形教室ダ・ヴィンチクラスの講師を務める。 右:保坂遊(ほさか・ゆう)/東京家政大学 子ども学部・子ども支援学科教授。乳幼児(3歳未満児)に対する臨床美術を導入した造形表現カリキュラムの構築 国内共同研究を行う。共著に『コンパス保育内容表現』(建帛社)、『子ども学総論』(日本小児医事出版社)、など。

思わず「自分の表現」がしたくなるプログラム

――まずは、臨床美術が生まれた経緯からお聞かせいただけますか。

蜂谷:1996年に誕生した臨床美術は、そもそも認知症の進行を食い止めたり予防するために、脳外科医と美術家、ファミリーケア・アドバイザーがチームとなって考案されたものです。

今日に至るまで、認知症の根本的な治療方法や、進行を完全に止める方法は見つかっておらず、薬の数も限られています。症状にもよりますが、認知症の治療は薬物療法だけに頼らず、非薬物療法と組み合わせて行う場合が多い。

その選択肢のひとつとして、我々が取り組んでいるのが臨床美術です。認知症に対し、現状維持も含めておよそ6、7割ほどの有効率があるとされています。

もともとは認知症の高齢者のために開発されたのですが、子どもの感性教育にもよいのではないかと、保育園や幼稚園、小学校の学校教育や児童養護施設など活動の幅を広げています。

※写真はイメージ(iStock.com/mihailomilovanovic)
※写真はイメージ(iStock.com/mihailomilovanovic)

――「臨床」というと医療的なイメージがありますが、臨床美術と学校で習う図工や美術との違いは何ですか?

保坂:臨床美術と学校の授業の違いは、表現の最初のきっかけを提供する「アートプログラム」を持っていること。

子どもに限らず、大人も同じだと思いますが、「自由に表現してごらん」と言われると戸惑ってしまうのではないでしょうか。何のきっかけもなく主体的に表現するというのは、意外と難しいんですよね。

臨床美術のアートプログラムは、表現の方法論が体系化されているので、たとえ図工が苦手な先生でも、子ども自ら表現したくなるようにナビゲートできるようプログラムが組まれています。

そしてプログラムを受ける誰もが、自然と自分なりの表現を見つけられるように構成されているのです。

子ども造形教室ダ・ヴィンチクラスの様子。集中して制作に取り組む子どもたち。(C)芸術造形研究所
子ども造形教室ダ・ヴィンチクラスの様子。集中して制作に取り組む子どもたち。(C)芸術造形研究所

蜂谷:認知症の方の多くは、意欲が湧きづらく、美術に対して苦手意識が強い傾向にあり、ものづくりが苦手という方も少なくありません。

意欲が湧きづらい人に表現してもらうためには、どのようなプロセスを踏めばよいのか……。試行錯誤の末に成り立った方法論が、臨床美術士を養成する「芸術造形研究所」が作りあげてきた約700のアートプログラムです。

アートプログラムは料理でいうと、レシピのようなもの。ひとつのプログラムの中でステップが分かれているんですね。それに沿って臨床美術士が声かけをしながらプログラムを進めていきます。

たとえば、りんごを描くときどこから描き始めますか?

アートプログラムのひとつ、「りんごの量感画」では「点」から始まる。そこから表現を広げていきます。

「りんごの量感画」(C)芸術造形研究所
「りんごの量感画」(C)芸術造形研究所

蜂谷:多くの場合、りんごを描こうとすると輪郭を描こうとして線から描くのではないでしょうか。形の通りに描こうと思うと描写力が必要になってきますよね。

しかし、「点」なら誰でも打てる。やりたくない人に対して無理にやらせることはしませんが、嫌だという人も、美術に苦手意識がある人も、「点」を打つことは難しくないはず。

つまずくポイントは誰しもいっしょで、認知症の方が取り組むことができれば、健常なおじいちゃんやおばあちゃんも取り組める。それならば子どもに対しても臨床美術を行うことができるのではないかということで、子どもの教育現場にも広がっていきました。

年齢や病気、障がいに関係なく誰でもできることも、臨床美術の特徴です。

「りんごの量感画」制作の様子。(C)芸術造形研究所
「りんごの量感画」制作の様子。(C)芸術造形研究所

蜂谷:先ほど保坂先生がおっしゃったように「今日は絵を描きましょう。どうぞご自由に!」と言われることが一番困るとよく耳にします。何をやるか、次はどうするか……アートプログラムでは全て決まっているから、困ることはありません。

そうすると、「全て同じ絵になるのではないか?」という疑問が湧きませんか? ところが、同じになることはない。

あくまでもこちらの予定通りにやらせるのではなく、私たちが投げかけた言葉に対して、その人がどのように感じ、どのように表現するかは自由である、ということが大切なポイントです。

つまり、こちらの提案に対し「でも私はこうしたい」という声を受け入れて、また返していくというキャッチボールによって脳が活性化し、その人なりの感性が育っていく。間違っても「それは違うでしょう」なんて言われたら、創造力のシャッターはその瞬間に降りてしまいますから。

――ものづくりのステップがあらかじめ体系化されているプログラムが提示されるからこそ、逆に「私はこうしたい」という思いが沸き起こるということなのですね。

あなたは本当に目の前のりんごを描いてる?

――プログラムの中で、特に大切にされていることは何ですか。

蜂谷:私たちは、「感じることができれば表現できる」というスタンスを大事にしています。

感じることができれば描写力がつく、というわけではありません。描写力をつけようとすると技法などの勉強が必要になってきますから。

たとえば、りんごを見る、持つ、触る、切ってみる、香りをかぐ……つまり五感でそのものを感じましょう、というわけです。

ところで、どうやってりんごを食べますか? 皮は剥きます?

――包丁で切って食べますね。皮は……剥くときもあれば剥かないこともあります。

蜂谷:なるほど。保坂さんは?

保坂:剥いて食べますね。

蜂谷:……なんて話をすると、すでにりんごを感じていませんか?コロナ禍では難しいのですが、実際にりんごを食べて感じることもあります。

まず、感じること。そこはとても大切なんですよね。

※写真はイメージ(iStock.com/organi)
※写真はイメージ(iStock.com/organi)

――確かにりんごを感じました(笑)。でも、「感じて描く」とは具体的にどういうことなのでしょう。

保坂:多くの人は「りんご」を見なくても描けますよね。しかしそれは、言葉をシンボルと結びつけているから。つまり、概念で描いているのです。

「木」といったら木が、「家」といったら家が、「赤」といったら赤色がパッと思い浮かぶ。描画の発達を研究したアメリカの研究者ローダ・ケロッグによれば、世界中どの国の子どもの太陽は丸を描いてちょんちょん、と線をつけ足したような絵だったそうです。

「言葉」を共有することも概念であり、このような概念は生きていくために必要なものです。

※写真はイメージ(iStock.com/ValuaVitaly)
※写真はイメージ(iStock.com/ValuaVitaly)

保坂:しかし、絵を描くときにも人は概念で描いてしまいがちです。言葉と同じように、「説明するため」の絵を描いてしまうんですよね。だから相手にわかるように描こうと思うと、象徴や概念を描いてしまう。

「りんご」と言われればりんごを描くことはできますが、本当は同じりんごはひとつとしてなく、ひとつひとつに違いがあるはずなのです。

――「感じること」なら、生まれたばかりの赤ちゃんでもできますよね。

蜂谷:私の経験上、鉛筆を握ることができれば、子どもは本能的に何かを描きます。それは「何かを描こう」と思っているわけではなく、自分の手にする鉛筆で描ける「何か」を楽しんでいるのかもしれませんね。

臨床美術は「0歳から100歳まで」と謳っていますが、お腹の中にいるときから「感じること」は始まっている。妊婦さんに向けたセッションを行うこともあるんですよ。

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嬉しいも悲しいも。感覚を描くことで活性化する脳

――伝えるために描くのではなく「感性」を使って描くことの医学的な効果には、どのようなものがあるのでしょうか。

今日までの研究で単純に「アートは右脳」と明言することは難しいのですが、それでも音楽は右脳の働きが大きいことがわかってきたり、感覚的な分野が右脳に関するという理論が少しずつ明らかになっています。

概念や象徴的な部分だけではなく、やはり五感も含め、総合的に脳を使うことが大切なのではないかと思います。

たとえば、これは黒地の紙に絵具を流し込み、偶然できた形の中に色を塗っていく「色のアラベスク」という感覚的な作品です。

「色のアラベスク」(C)芸術造形研究所
「色のアラベスク」(C)芸術造形研究所

絵を描いているときの脳の活動を調査した結果、概念的な描画よりも、感覚的な抽象表現の方が、より脳機能を活性化することがわかったのです。

――子どもたちへの効果はいかがでしょう。

保坂:たとえばADHDなどの発達障がいを抱える子どもは、過敏症の子どもが多い。感覚過敏で何でも刺激になってしまうのですが、臨床美術を行うことで少し落ち着きが現れたケースもあります。

それから、児童養護施設の子どもの多くは、今までの成育の中で大人から認められた経験が少なく、6割程度が虐待を経験しています。自分のことを認められず、暴力的になったり内向的になったりと、人との関わりがうまくかないケースが多い。

そんな子どもたちの行動面や精神面を数値化するChild Behavior Checklist(CBCL)によると、臨床美術を行った前後で、このような結果が得られました。

保坂:何もしなければ、CBCLの数値は上がっていきますが、臨床美術を行った場合には数字が下がった。つまり、臨床美術を行うとことで気持ちが落ち着くということが分かりました。そのため、暴力が治まったり、内向的だった子が人と関われるようになったりといった変化が見られました。

美術は負の感情も表現できるんです。たとえば、「悲しい」「やる気がない」という感情や気持ちを現すこともできます。

「作品が残る」ことも大きいでしょう。他の人に見てもらえたり、後から振り返ることができますから。

蜂谷:不登校で学校には行けなくても、臨床美術士のいるスタジオには必ず行って、気持ちを穏やかにして帰っていく。それを続けることで学校に行けるようになったという子もいるようです。

子ども造形教室ダ・ヴィンチクラスの様子。自分だけのイメージを作品にしていく。(C)芸術造形研究所
子ども造形教室ダ・ヴィンチクラスの様子。自分だけのイメージを作品にしていく。(C)芸術造形研究所

本心から「ほめる」ために大人も感性を磨くべし

――臨床美術を行うと、脳が活性化され、活力が湧いたり、心が穏やかになるということですね。

蜂谷:その結果として、臨床美術を導入している学校や園などの現場からは、「子どもたちの自己肯定感が向上した」という声があがっています。

自己肯定感が上がるということは、自ら発想して物事を起こせるということ。自分の目で見たものや感じたことを、自分の言葉で話せるようになる。要するに、能動的な人間が育つということです。

自己肯定感が向上する理由には、アート表現そのものの力に加え、臨床美術士の関わり方も貢献しているのではないかと考えます。

オイルパステルを使って思い思いに描く子どもたち。(C)芸術造形研究所
オイルパステルを使って思い思いに描く子どもたち。(C)芸術造形研究所

蜂谷:アートプログラムの最後、多くの場合、みなさんの作品を並べます。そして、それぞれの作品のいいところをみんなの前で伝える。そのときは、スポットライトを浴びて、まさにスターのよう(笑)。

集団の中で上手な作品をほめると、その場にいる他の子どもたちは「あれが素晴らしい絵か……あんな絵を描けばいいんだ」と思ってしまう。そうすると、どの作品も似てしまうんですよね。

保坂:だけど逆に自分の作品をほめられたら、子どもは嬉しくて満たされた感覚を味わいますよね。そのあと何が起こるかというと、友だちの作品をほめるんですよ。先生がいないところでも、お互いにほめ合うこともあるようです。

それはつまり、それぞれのよさが異なることを認めているということ。他者の作品のよさに気付くことで、子どもたちにも他者を理解する視点が育まれているのだと感じます。

※写真はイメージ(iStock.com/JGalione)
※写真はイメージ(iStock.com/JGalione)

――子育てに立ち返ると、子どもの絵や作品に対して、どういうふうに褒めればいいかわからないといったことはよく聞きます。臨床美術士の方はどのように声をかけているのですか。

蜂谷:確かに、何のレクチャーも受けず知識もない状態では、全ての作品を見て必ずしも「これはすばらしい!」と思うことはできないかもしれません。なぜなら、肯定する言葉を浴びて育ってきた大人が圧倒的に少ないから。

臨床美術士が作品をほめるときのポイントは、具体的にほめることです。そのときに「上手だね」という言葉は使わずに、色の使い方や形などの特定のポイントを具体的に示して伝えています。

心から作品をほめること。そのためには、我々は「いい」と思う感性を磨き続ける必要があるのです。

ママと赤ちゃんが一緒に制作する「はぐくみアートサロン」の様子。(C)芸術造形研究所
ママと赤ちゃんが一緒に制作する「はぐくみアートサロン」の様子。(C)芸術造形研究所

保坂:学校教育では、以前から鑑賞教育が取り入れられています。子どもの作品を前にして「君は何を表現したかったの?」と聞いたり、自分の作品をプレゼンテーションすることが求められます。

しかし臨床美術の場合は、他者から見たときのよさが先行するのです。自分よりも他の人からの方がよく見えることはありますよね。人にポジティブな評価をしてもらう経験は、子どもにとって大きな価値になります。

蜂谷:誰しも好き嫌いや、合う合わないといったことはあります。「あいつは嫌い」で終わってしまうのではなく、「でもひとつくらい、いいところもあるんじゃないか?」と思えたらいいですよね。

これまで日本の教育では、苦手な部分を見つけて正していくことを重視されていたように感じます。しかし臨床美術を通して、いいところを見つけて伸ばすことの大切さを伝えられる。

保坂:日本社会や教育では平均値がすごく大事にされています。しかし本来、人間は得意なことや苦手なことがあっていい。

バランスがとれていなくても、不定形でも、その形はそれぞれでいいはずで、「多様性を認める」とは、そういうことです。

美術を通して子どもたちに教えられることは、上手いか下手かという基準ではなく、ひとりひとり違った表現でいいということ。なぜなら、美術の世界には正解がありませんから。

蜂谷:成熟した社会では価値観は多様になっていきます。数えきれないほど答えがある中で生きていくには、人のいいところを見つけ出す「共感力」、それを吸収して自ら新しいものを生み出す「創造力」が必要になる。

このふたつの力を育むことのできるアートは、これからますます大切なものとなっていくのではないでしょうか。


<取材・執筆>KIDSNA編集部

2021.12.17

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