エンターテイメントで「美の価値観」を育んだ保護者たちに伝えたいこと【トミヤマユキコ×矢吹康夫】

エンターテイメントで「美の価値観」を育んだ保護者たちに伝えたいこと【トミヤマユキコ×矢吹康夫】

成長過程で多くのコンテンツを目にする子どもたち。見た目に関する差別や偏見を指す「ルッキズム」や、コンプレックスを助長するエンターテイメント作品に触れてしまう機会も少なくないかもしれません。保護者として、そうしたコンテンツとどのように向き合えばよいのか、マンガ研究者でライターのトミヤマユキコさんと、社会学者の矢吹康夫さんに対談いただきました。

「目が大きくて、色白で、スタイルがいい」

こうした“カワイイ顔”、“モテる顔”のヒロインが登場する少女マンガにあこがれ、そして自分の容姿にコンプレックスを持った経験がある人は少なくないかもしれません。

こうしたエンタメ作品における「美の基準」のルーツは、一体どこから来ているのでしょうか。そして、今の時代を生きる子どもたちも、マンガやアニメ、動画などによって、同じような価値観を内面化していくのでしょうか。

今回は、私たち親や子どもたちが日々手に取るエンタメ作品が、外見に基づく差別や偏見を指す「ルッキズム(外見至上主義)」に影響を与えるのではないかという問いから、著書『少女マンガのブサイク女子考』でルッキズムについて分析したライターのトミヤマユキコさんと、アルビノの当事者であり、見た目問題の専門家である社会学者の矢吹康夫さんと、親子がこれからエンタメ作品とどう付き合うべきかを紐解いていきます。

右:矢吹康夫(やぶき・やすお)/立教大特定課題研究員、専門は社会学。見た目問題に関する専門家で著書に『私がアルビノについて調べ考えて書いた本ー当事者から始める社会学ー』など。 左:トミヤマユキコ(とみやま・ゆきこ)/ライター。東北芸術工科大学講師。著書に、『少女マンガのブサイク女子考』『夫婦ってなんだ?』『40歳までにオシャレになりたい!』『大学1年生の歩き方』『パンケーキ・ノート』など。

容姿コンプレックスを抱いているのは親世代?

ーー少女マンガを専門に研究され、著書では登場人物の容姿にスポットを当て考察を行ったトミヤマさんにおうかがいします。美しい登場人物ばかりが出てくる少女マンガコンテンツは、読者に容姿コンプレックスを植え付けさせてしまう可能性をはらんではいないでしょうか?

トミヤマ:かつての少女マンガ、とくに恋愛ものは、日本の平凡な女の子たちが、はるか遠い国の、なりたくてもなれない美しい登場人物に憧れる、つまりファンタジーの世界を夢見るという形を取っていました。

そこに出てくる美男美女は、あまりにも自分とかけ離れているので「それに比べて、私は……」とはなりにくく、特に現実の生活が苦しい読者にとっては、現実から離れていれば離れているほど「目の前の自分の問題」について考えずに済むという側面があったのだと思います。

ところが、時代が進むにつれて少女マンガも発展し、設定が「現実の生活」に近づいてきます。

平凡な生徒が主人公の、どこにでもあるような学校を舞台にした物語。ヒロインの生活環境がだんだん私たちと地続きになってくるんですよね。その結果、「私とあの子は境遇が似ているのに見た目は違う」という比較ができてしまう。それがつらさを生んだ可能性はあります。

ーーいつから、少女マンガに絶対的な「カワイイ」の基準が生まれたのでしょうか。

 

トミヤマ:「西洋人的な美少女画」の系譜というのは、長いことあったのだと思います。

 

『りぼん』や『なかよし』といった少女マンガは1950年代に創刊されますが、それ以前、少女マンガの“ご先祖様”のようなコンテンツに、「少女小説」があります。少女向け雑誌に掲載された小説の挿絵が、中原淳一さんの描いたとってもかわいい女の子だったりするんですよ。

 

中原さんの挿絵が一大ブームとなったのは1930年代後半以降。彼の描く美少女は着物を着たりはしているものの、いわゆる「日本的な美」とは少し違って、なんとなく等身が高かったり、目が大きかったりするんですね。この時点ですでに西洋的な美が流入してきている。

 

その後、少女マンガが出てくることになります。今でこそ少女マンガの主人公は、日本の平凡な中高生であることがポピュラーですが、昔は外国のお姫様が主人公の作品も多く、やっぱり「西洋人は美しい」といった価値観があったのでしょうね。

矢吹:少女マンガで描かれている顔の造型って、ずっと「西洋人的な美しさ」から変わらないんですか?

トミヤマ:そういう作品がいまだに多いなとは正直思いますが、もちろんそこに抵抗する作風の作家さんもいらっしゃいます。たとえば『プリンセスメゾン』の作者・池辺葵さんの描く女の子たちは、いかにも少女マンガ的な美女、としては描かかれていません。わたしはそこが大好きなんですが。

ただ、こうやって作家さんのお名前がすぐ出てくるということは、逆に言うと、まだ珍しいからとも言えますね。

  
マンション購入を夢見て居酒屋で働く女性と、彼女をとりまくさまざまな境遇の登場人物を描いた『プリンセスメゾン』。作者は漫画家の池辺葵さん。

トミヤマ:登場人物の設定に関しては、複雑で多様なバックグラウンドが描かれるようにはなってきているのですが、見た目としてはいまだに美男・美女が多いですね。

そうなると、「美人は得でブサイクは損」という外見至上主義、つまりルッキズムの構図を読者が受け取ってしまう可能性は出てきますよね。

矢吹:とはいえ、「この作品をこれだけの人が読み、その結果このようなコンプレックスを抱えた」と、数字で測ることはできないので難しいですよね。

   

トミヤマ:そうですね。少女マンガを幼いころから読んできた人も、全く読んでこなかった人もいるし、女子だけど少年マンガしか読んでいないといった人も当然います。今の子どもたちは、触れられるコンテンツが大量にあるので、みんなが同じものを見て育った、みたいなことが昔ほどはないんですよね。

ですから、どのコンテンツがコンプレックスの内面化につながったかも、人によって違うのではないでしょうか。

同じ時代に同じマンガのムーブメントを経験し、そこで描かれるヒロインの恋にみんながあこがれた世代って、現在30代前後の人たちまでなのかなぁと。そう考えるとむしろ、顧みなくてはいけないのは、コンテンツではなく親自身のルッキズムや容姿コンプレックスの方かもしれません。

fizkes/Shutterstock.com
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多様化する「ブサイク女子」と、ステレオタイプに描かれてきた「アルビノ」

――少女マンガのヒロイン像も多様化してきているとトミヤマさんは著書で触れています。変化がでてきたのはいつごろからなのでしょうか?

トミヤマ:10年ほど前に、とあるシャンプーの広告で「カワイイはつくれる!」というキャッチコピーが世に出てきたあたりからでしょうか。

それまでは「ブサイクはブサイクとして、美女は美女として、それそれどうやって生きていくか考えればよい」という価値観だったのが、生まれつきの美人じゃなくてもいい、整形やメイクでなりたい姿になればいい、という流れができてきた。世の中がそうした空気になってきたことで、少女マンガ界の多様化も加速したように思います。

整形したければしていいし、ブサイクな子が後天的にかわいくなったからといって別にバチが当たるわけでもない。良い意味で「生まれつきの美人であるべき」という固定観念がなくなってきているからこそ、見た目も性格もさまざまなヒロインが登場してきている気がします。

ただ一方で、「カワイイをつくりたくない!」人にとっては苦しい時代だとも言えますよね。

なぜなら、「カワイイはつくれる!」となると、努力しないのは怠慢なんじゃないか、ありのままでいいなんてサボってるだけだ、という風潮になってしまいがちだから。それについては気を付けなければいけないと思います。

  

ーー少女マンガのヒロインは多様化している一方で、「キャラクター設定」という意味においては、矢吹さんは著書の中で、アルビノがエンタメ作品の中で過剰に神格化して描かれることについて触れていますよね。

矢吹: 私は、病気やケガや障がいによってあざや麻痺などの“ふつう”とは異なる外見をもつ人びとへの容姿差別について研究しています。

しかしその中でも、生まれつき肌や髪の色素が少ない疾患である「アルビノ」については、白い肌や白い髪といった特徴がある種の美しさと捉えられ、描かれてきた歴史があります。

現在はまた変わってきていると思いますが、90年代の作品に登場するアルビノと思われるキャラクターは、そのほとんどが同じような描かれ方をしていました。

簡単に言うと、「無口で何を考えているかわからない、けれど、不思議な能力を持っている」というキャラクター像ですね。アルビノという設定が乗っかった途端、キャラクターが自動的に同じような雰囲気にばかり描かれてきたんです。

  

矢吹:さらに、中で「見た目に障がいがある」とか「アルビノである」といった設定がついた場合、必ずその設定は物語の中で「意味を持つもの」として描かれなくてはならなくなります。

つまり、意味もなく「障がい者である」というキャラクターで登場することがない。設定だけではなくストーリー展開においてもそうで、たとえばエンタメ作品の中で、理由なく車いすの人が横を通り過ぎたりはしないわけです。

このように、ハンディキャップや身体的特徴のある人は、エンタメ作品の中では、「当たり前にいる人々」ではなく「その作品に登場する意味がないと出てこない」とされているのは、やはり過剰だと感じます。

トミヤマ:海外ではまた描かれ方も違うかもしれませんね。私が遊んでいるスマホゲームは海外の会社がつくったものですが、松葉杖や車いすのキャラクターが普通に街中を歩いているんですよ。健常者もそうでない人も混ざり合った世界で宝探しをするんですけど、見ているととても幸せな気持ちになるんですよね。だって、「世界って、こういう感じ」だから。

ゲームのコンセプトとして声高に「多様性を!」と言っているわけでもなく、ごく自然で当たり前の風景として作られているんです。日本だとまだそういう空気がないような気がしますね。

iStock.com/diego_cervo
iStock.com/diego_cervo

矢吹:それでも、2000年代半ばから少しずつ状況は変わってきたように感じます。アルビノに関して言えば、日本のアニメーションの分野では、いろいろな性格で描かれるようになってきました。

それは、「アルビノ=無口で神秘的」というような画一的なキャラクターに視聴者が飽きてきたというのも要因の一つになっているのかもしれませんが、「今までとは少し変えてみよう」というムーブが少しずつ起きているのだろうと。

とはいえ、依然として美男美女として出てくることがほとんどです。「近寄りがたい美しさ」として描きたい意図があるのでしょうね。

   

トミヤマ:アルビノやユニークフェイスの方々は、矢吹さんがおっしゃるように「特別」という台の上に置かれてしまって、その人が「こういう個性を持っている」という風に細かく描かれることがまだ少ないのですね。

そこは、少女マンガにおける「ブサイク女子」のポジションとは、大きく異なる点です。

もちろん、先天的疾患による見た目問題の当事者と同列で語ることはできませんが、「ブサイク女子」は、基本的には多くの人にとって身近だし、なんなら自分のことをそうだと思っているという女子も大勢いる。「特別」という感じじゃないんですよね。

  

トミヤマ:身近であるからこそかもしれませんが、最近では、「ブサイク=モテない」とか「ブサイク=根はやさしくて良い子」みたいな単純な話はかなり少なくなってきています。

私が自著で取り上げたたくさんの少女マンガ作品の中には「性格の悪いブサイク」もいるし、「モテるブサイク」もいる。「ブサイク」にさまざまな設定がプラスされていて、思いのほかカラフルな世界だよということを紹介しています。

そういうことが、今後、ハンディキャップを持つ方々や、見た目問題の当事者の方々を描く作品でも出てくるようになると、時代や、受け手の意識も変わるのでしょうね。

矢吹:そうですね。病気やケガや障がいによって“ふつう”とは異なる外見を持つ人々にも一人ひとり固有の性格があり、一人ひとり違う経験をしてきたということがないがしろにされている点は、ルッキズム(外見至上主義)とは異なる面だと思います。

  

矢吹:たとえば、障がい者に対しては、現状「大変だけどがんばっている」という暗いイメージか、「障がいを乗り越えて前向きに挑戦している」という明るいイメージで二極化していて、多様性とは言い難い状況のように思います。

 

後者の方がメディアで脚光を浴びますし、本人は意図していなくても目立つので、知識のない人々は、周囲の人々にもそうした振る舞いを求めてしまいがちですよね。でも実際にはすべての障がい者がそういう性格ではないし、先ほど無口で神秘的なイメージで描かれると話したアルビノだって、おしゃべりな人ももちろんいます。

 

当たり前のことなんですよね。そういうことがふつうに描かれていけばいいですよね。

   
iStock.com/frantic00

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親は危険なコンテンツを「批評」し「無視」することが大切

ーー現状、私たちはルッキズムをはじめとしたさまざまなコンプレックスを刺激するコンテンツに出会い頭の事故のように触れてしまうことがありますが、保護者はどのように子どもをコンテンツから守っていけばよいのでしょうか?

矢吹:どうしても、コンテンツの中には女性を性的に消費する描写や、ジェンダー観に問題があることで、ストレートにストーリーを楽しめない作品はまだまだありますね。

ただ「目につくようになって楽しめなくなった」という感情自体は悪いことではない。「これはステレオタイプな描き方なのでは?」「これは差別を助長しているのでは?」ということに気が付くことは悪いことではありません。

トミヤマ:それは私も少女マンガを読んでいて思うことはありますよ、「いまだにこの恋愛観なわけ?」って。

でもそんな中で、保護者が子どものためにすべきことは、自分自身を教育し、「賢さ」を身につけることだと思います。ここで言う「賢さ」とは、コンテンツを選別し、まずいなと思った作品はちゃんと無視する、ということです。

表現に疑問を抱いても、結局、消費者がそれをスルーして商品を買い、作品がヒットしてしまうと作り手は「このコンテンツ、いけるんだ」と思ってしまいますから。

個人レベルでいいので、「購買の選択」という形で意思を表明していくことが必要ではないでしょうか。

  
iStock.com/Hakase_

ーーまずは親が良いコンテンツと悪いコンテンツを見分けて「買わない」ことですね。その上で、子どもといっしょにコンテンツと上手に向き合うコツはあるのでしょうか?

トミヤマ:少女マンガに限らず、エンターテイメント作品からルッキズムや偏見を助長させる作品がこれ以上生まれないために、消費者側が「批評力」を高めることが大事だと思います。

週刊、月刊のマンガは毎号ごとに人気投票が行われて、人気がなくなると連載が打ち切りになってしまうので、結局「大衆の欲望のど真ん中」を狙っていかないと連載自体を続けられないんですよね。

なので、マンガ家を担当する編集者も含め、なかなか、今までのセオリーを捨てて新しい価値観を打ち出すなどのチャレンジに踏み切れないこともあるようなのです。

でも、読者がちゃんとそこを批評すればいい。いいものは褒める。悪いものは炎上させるんじゃなくて、批評をする。

ーー批評、ですか。

トミヤマ:今って「批評」があまり機能していないように感じていて。単なる好き嫌いとか「バズった、炎上した」みたいなことではなく、ちゃんと強度のある言葉で作り手と受け手がやりとりをするということが、できていないように思うんです。みんな忙しくて「なぜそう思ったのか?」をじっくり話し合う時間がないのかな。

  

矢吹:見る側の批評力、そして作り手の人も、どこかからは必ず批判はくるはずだから、それに応える覚悟を持って作品と向き合ってほしいと思います。批判が起きたときに「そんなつもりではありませんでした、取り下げます、削除します」で済まさない。

全ての人が満足するはずはなく、批判がきてしまうこともあるのだから、それには応えられる準備をしておこうよ、と思います。「そんなつもりで描いてないから悪くないんです」とはなってほしくない。そこの逃げが多すぎるように思いますね。

双方がきちんとした言葉でやりとりしていくことが、自浄作用を生むのではないでしょうか。

   

「見ちゃダメ!」と子どもの情報をシャットダウンする前に

ーー保護者たちは「どうやったら子どもが危険なコンテンツに触れないようにできるのか?」への答えを求めてしまいがちですが「これだけコンテンツがあれば、触れてしまうことは当然。触れたときに、どう批評し、跳ねのけ、時に無視すればいいか」の胆力をつけることが大事ということでしょうか。

トミヤマ:そうですね、そこで逃げたり面倒くさがったりしないことですね。子どもと一緒におかしなコンテンツを見てしまった時に「変なもの見ちゃったね」って会話をしていければいいですよね。

「これはもう見ちゃダメ!」という答えだけ与えちゃうと、子どもは自分の感覚を言語化せず、ただ「親がそう言ってるから」で終わってしまう。それだと、言葉が育っていかないんです。

「どう思った?」「私はこう思ったんだけど」という会話ができると、親から子への一方的な命令で終わらずに済むのではないでしょうか。

「好き/嫌い」「OK/NG」で終わらせず、自分の言葉で語れるようになる力は、学校教育だけではなかなか身につかないものなので、ぜひ個々人がご家庭の中で育む意識を持っていただきたいと思います。

   
metamorworks/Shutterstock.com

トミヤマ:私は、「少女マンガって『世の中がこうだったらいいな』という半歩、一歩先の未来を描こうとしている作品が評価されたり、売れたりするのではないか」と思っています。

もちろんそんなに単純なものでもないのですが、「いいな」と思える作品にはどんな要素があるのか、と分析してみると、手が届きそうな未来を描くのがうまい作品が評価されているように思います。

見た目のことや、人々の生き方の選択肢、ジェンダーやセクシュアリティに関して、今よりも少し先の未来をマンガ家さんが描いてくれることで、「これぐらいの距離なら私たちもたどり着けるかも」と読者も希望を持てるんじゃないですかね。

特にマンガは、堅苦しいお説教ではなく「おもしろい話を読んでいるうちに新しい価値観がインストールされる」という側面もある。娯楽なんですけど、ちょっとだけ社会を動かすような、読者をエンパワメントできるようなものが含まれています。

その魅力をまずは保護者が理解し、さらにお子さんと楽しんでいくことで、「ルッキズム」や「コンプレックス」との向き合い方もずいぶんと変わるのではないでしょうか。

2021年07月28日

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