いまの小学校、中学校には無茶だ…大学レベルの「答えのない授業」に振り回される生徒と教師たち
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教員の労働環境の改善が課題となっている。どんな業務が負担になっているのか。木村草太『憲法の学校 親権、校則、いじめ、PTA――「子どものため」を考える』(KADOKAWA)から、木村さんと教育社会学者の内田良さんの対談の一部を再編集して紹介する――。(第3回)
教師は幅広い業務をやり過ぎている
本書で議論を重ねてきた「教育と憲法」の関係性から、今まさに劇的な変化が進む教育現場にどのような処方箋を差し出すことが出来るのか。ブラック部活動、いじめ問題、教師の長時間労働などの背景を研究し、現場のリアルな声を発信してきた教育社会学者の内田良さんをお招きし、教員の過重労働や双方向・探求型の授業について議論した。教室で、いじめ問題においても授業においても「見えない権力者」になりがちな教師。その裏返しとして起きている問題とは――。
【内田】「教師の存在が見えない」という問題は、角度を変えれば教師の長時間労働が語られてこなかった歴史でもあります。いま学校の働き方改革が喫緊の課題とされています。でも先生たちが口々に言うのが「働き方改革で、教師がラクしているとは思われたくない」というものです。
学校の長時間労働を考えたときに見えてくるのが、教師があまりに多くを引き受けてしまっている現状です。権限が強いということは、責任が集中していることを意味します。
例えば、プールの水栓を閉め忘れる事故がよくニュースになります。プールに行って水栓を開けたあと、職員室に戻ってあれこれと仕事をして、4、5時間してから栓を閉めにプールに戻る。ただ、仕事をしている間にそのことを忘れてしまって、水が何時間にもわたって流出してしまいます。施設管理業務までこなさなければならない上に、忘れると大きな損害になる。プール施設の管理は、はたして教師の業務なのでしょうか。
教師はあまりに幅広い業務をやり過ぎています。それが権限の集中であり、裏返せば責任の集中となって長時間労働を生み出す。結果として、教師が倒れてしまう。
教師は“神聖視”されてきた
【木村】どうしてそんな状況になってしまったのでしょうか。本来、権限と責任はそれぞれの専門職に分散できるはずです。施設管理は、子どもへの教科指導とは異なる職分です。授業にしても、小学校で1人が全教科を教える必要はなく、それぞれに、専門分野があるはずです。やはり、教育予算の不足が、問題の背景にあるのでしょうか。
【内田】おっしゃる通りです。OECD加盟国の中でとりわけ教育予算が少ないことは長年指摘されてきました。
【木村】予算が少ないのに、教育現場はとてもそうは見えないのは無賃労働が多いからだと言われますよね。
【内田】本当にその通りです。公立校の教員は給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)の規定により、長い時間残業していても、無賃労働の扱いになっています。未払いの残業代を合算すると年間1兆円近くになるとも言われています。
ただ、法制度の問題だけではありません。「教師はお金や時間に関係なく子どものために尽くすべき」という献身的教師、聖職者としての教師が理想視されてきました。逆に、授業だけするとか、残業代がきっちりほしいとか、定時には帰りますといった要望を出す教師は「サラリーマン教師」と揶揄されてきました。教師とは、子どもたちのすべてを担っている素晴らしい仕事なんだと、金儲もうけを考える者、授業だけ教えればいいという者には出来ないことだ、と。そういった考え方が根強かったんですね。