NHK大河ですべて描き切れるのか…藤原道長とバチバチに対立した三条天皇が迎えたあまりにみじめな最期
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三条天皇とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「念願かなって天皇の座に就いたものの、藤原道長と対立したことにより、すべてを奪われてしまった」という――。
三条天皇と藤原道長の冷戦はこうして始まった
三条天皇(木村達成)は「姸子(きよこ)を中宮とする」と藤原道長(柄本佑)に伝えた。姸子(倉沢杏菜)は道長が入内させた次女。道長はよろこんだが、その1カ月後、三条天皇は「娍子(すけこ)を皇后とする」と宣言し、「一帝二后をやってのけた左大臣だ。異存はあるまい」と言い放った。NHK大河ドラマ「光る君へ」の第42回「川辺の誓い」(11月2日放送)の一場面である。
三条天皇が寵愛する娍子(朝倉あき)は、藤原氏の本流ではない済時の娘で、権力の後ろ盾がない。そんな女御を后にしたい三条天皇は、一条天皇の御代において、すでに定子(高畑充希)という后がいながら、定子が皇后、自分の娘の彰子(見上愛)が中宮という無理筋を押し通した道長の前例を逆手にとったのである。
道長は「それは難しゅうございます。恐れながら近年では、大納言の息女が皇后になった例はございませぬ」と反論したが、三条天皇は「それでも朕は娍子を皇后としたい」と譲らない。「できませぬ」と答えた道長だが、「そなたがこれをのまぬなら、朕は二度と姸子のもとには渡らぬ。渡らねば子はできぬ。それでもよいのか?」と三条。姸子に三条天皇の皇子を産ませたい道長は、痛いところを突かれてしまった。
そこで道長は、天皇の決定をのむ代わりに、娍子の立后の日に姸子の内裏参入をぶつけることにした。結果、娍子立后の儀は、多くの公卿が道長に遠慮して参加を見送ったために閑古鳥が鳴き、姸子の内裏参入は大いににぎわった。