灘→東大理III→医師…エリート一直線の和田秀樹「人にバカにされても全然いい、むしろ誇り」と語る納得の理由
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これからの時代、一目置かれる存在はどんな人なのか。精神科医の和田秀樹さんは「知識の量=頭の良さの時代はとっくに去った。大切なのは、人を楽しませる面白さやユニークさ、豊かな経験知に基づく知の加工力だ」という――。 ※本稿は、和田秀樹『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
大切なのは知識の量ではなく知識を応用する力
特に60歳以降の方々の「賢さ」について考えるとき、大切なのは「知識」ではなく「知恵」を身につけるということだと思います。
AIの時代が到来した今、昔と違って、博識であることに価値はなくなってきていると感じます。それよりも、得た知識をどう自分なりに咀嚼し、アレンジしていくか、つまり「知の運用力」が問われる時代がきているのです。
日本では、頭のよさ=知識の多さ、という空気が未だ色濃く残っていると思います。だからこそ「知らないと恥をかく○○」などといったテーマの本はよく売れますし、常識力や知識の有無を問うクイズ番組は根強い人気があります。
けれど、本当の頭のよさというのは、知識の量ではなく、知識をどう自分なりに加工して、自分にしかできない発想に展開していくか、ということに尽きると思います。
私たちの学生時代は、単語や史実、方程式などをひたすら頭に詰め込み、記憶することに重きを置く、インプット式の教育が行われていました。教科書や参考書を丸暗記すれば、ある程度はよい学業成績を収めることができたでしょう。
社会に出てからも、そういった面はまだまだあったと思います。上司の指示を素直に聞いたり、会社から与えられた目標をすんなりクリアできたりする人は、組織のなかで重用されたのではないでしょうか。
もちろん人生において、そういう時期もあったということは決して無駄ではありませんし、否定するつもりもありません。
私も「受験で結果を出すために必要なのは、地頭のよさではなく要領だ」と散々言っています。効率的にインプットをして志望校に合格できるのであれば、それに越したことはありませんし、会社でうまく立ち回れるのなら、それはそれで素晴らしいことだと思います。
ですが、せっかくシニア世代を迎えてさまざまな制約から解き放たれ、ある程度は自由に生きられるようになったなら、突飛でも奇抜でもよいから、「自分なりの発想や信念を持つ」ことの喜びを知っていただきたいと思うのです。
ちょっと手厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、「知らないと恥をかく」と言われるようなことを懸命に勉強したところで、最終的に到達できるのは「恥をかかなくなる」だけのことであり、決して「頭がよい人」と思われたり、尊敬されたりすることはないでしょう。
誰もが知っていることを知るために時間を割くくらいであれば、ありきたりな考えから脱却し、オンリーワンの話を展開することに力を注いだほうが、人としての知性や魅力も増しますし、人生もはるかに楽しくなると思います。
もちろん、馬鹿にされるのは誰だって気分のよいものではありません。
けれど、「心ない人にどう思われてもいいや」と開き直り、自分だけのユニークな道を極められる人のほうが、結果的に人から一目置かれるようになるのだと思います。
私に関していえば、人から馬鹿にされても別にいいやと思っています。
馬鹿にされるということは、その人にはない発想を自分はできているということですから、その感性やアイディアをむしろ誇りに思うべきなのです。