だから秀吉、秀長は天下をとれた…豊臣兄弟の天才的な経済センスがわかる「鮎」を使った褒美の与え方

だから秀吉、秀長は天下をとれた…豊臣兄弟の天才的な経済センスがわかる「鮎」を使った褒美の与え方

豊臣秀吉、秀長と他の戦国武将は何が違ったのか。歴史家の磯田道史氏は「彼らは『銭の儲け方』のアイデアをすぐに思いつく天才だった。そして、その知恵を、自分たちについてきてくれた人々に分け与えた」という――。(第2回) ※本稿は、磯田道史『豊臣兄弟 天下を獲った処世術』(文春新書)の一部を再編集したものです。

秀吉秀長が天下を狙うきっかけになった「天空の城」

天正5(1577)年10月、秀吉・秀長は但馬に攻め入ると、竹田城(いまの兵庫県朝来あさご市)を落とし、秀長が城代となります。

信長公記しんちょうこうき』には、竹田城を落とした秀吉が「普請申しつけ」、大規模な城の工事を命じた、とありますから、現在、「天空の城」で知られ、多くの観光客を集めるあの美しい山城は、秀長が手掛けた可能性があります。

現存する竹田城は、天正13(1585)年に赤松家が建てたとされていますが、発掘調査では、階段なども全面張りの石畳となっていたことが分かりました。石垣を積む技術は豊臣家の得意技です。

この竹田城を得たことが、秀吉・秀長にとって決定的に重要でした。それはこの城が近くにある生野銀山の警備の拠点だったからです。

生野銀山を押さえることで、秀吉は天下を狙うことが可能になった、といっても過言ではありません。

これには、戦国大名の財政構造を踏まえておく必要があります。大名たちの経済基盤といえば、まずは領地です。そこから上納される年貢が財政を支え、そこに暮らす領民たちは労役を課したり、足軽として動員したりする人的資源でもあります。

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