カネや権力のある人ほど死の直前に苦しむ…穏やかに死を迎えられる人とそうでない人の決定的な違い
人は生きてきたようにしか死ねない
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穏やかに死を迎えるにはどうすればいいのか。長年、消化器外科医やホスピス医として勤務し多くのがん患者を看取った小野寺時夫さんの同名書籍を新装復刊した『私はがんで死にたい』(幻冬舎新書)より紹介する――。(第3回)
安らかな死を邪魔する「最大の障害」
一般的には次のような人は終末が安らかではありません。その根本的な原因は死を容認できないことだと思います。
・死を本気で考えたことのなかった人。比較的若年者に多いのですが、死を遠い未来のものと考えていたり、まだまだ生きられると思い込み、死についてあまり考えていなかったりした場合 ・転移などで助からないことや長生きできないことを偽られていて、末期になり真実を知った人。こういう人の多くは怒りが続いたままで死を迎えます ・がんという病気の本性がわかっていない人。60年前ごろまで死因の第1位だった結核が治るようになり、心筋梗塞でもステントやバイパス手術により長生きできるようになったのに、がんが治せないことが納得できない人 ・免疫療法や先端医療の報道におどらされ、いろいろな治療法を探し続けて最終的に無効とわかった人 ・手術の後遺症に苦しみながら末期状態になり、手術を受けたことを後悔している人。また、抗がん剤の治療を受けたが最終的に無効とわかり、抗がん剤治療を後悔している人 ・カネや権力で大抵のことが叶ってきた人。こういう人は、死を避けられないことの苦しみが一段と強い感を受けます |
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痛みなどの身体的苦痛が十分とれたとしても、がん患者さんには死を迎えなければならない心の痛みがあり、これが安らかな死の最大の障害なのです。
死を前にしての患者さんの気持ちは百人百様です。「人は生きてきたように死んでいく」「人は生きてきたようにしか死ねない」などといわれますが、私もその通りだと思います。
死ぬときはカネも権力も無力
人は死に直面しても、性格やその人の考え方の本質が変わることはなく、急に深く哲学的思考をするようになったり、強い信仰心が湧いたりすることはないのです。
人は常に社会的役割を身に纏って生きていますが、死に向かうときにはカネも、社会的地位も、名誉も無関係になり、心、魂そのものだけの存在になります。そのため、穏やかに死を迎えられるかどうかは、その人なりの確立した死生観を持って生きてきたか、言い換えると人の生命に限りがあることを認識し、個が確立しているかが大きく関係すると感じます。
死後の整理を完璧にし、不穏を見せず平然と生きて、医療スタッフに丁寧に感謝の言葉を述べて亡くなる人がいます。一方には、死を認めることがどうしてもできず、不安、怒り、落胆、焦りの入り混じった不穏状態が最後まで続いて、あるいは家族が来ないと不穏状態になりながら亡くなる人もいます。
自分なりの死生観がなく社会の流れに漫然と乗って生きてきた人、あるいは配偶者などに頼りきって生きてきた人に、嘆き悲しみながら死を迎える人が多い感を受けます。カネ、権力のある人のほうが死を認められない不安、怒り、恐怖が強いのではないかと思うことがあります。カネや権力でどんなことでも自分の思う通りにできてきたのに、死にはカネも権力もまったく無力なので、その分、焦りや嘆きが一段と強くなるのでしょう。