「5分の遅延で車掌がおわびする」のは日本だけ…アフリカ帰りの日本人が実感した「東京の生きづらさ」の正体
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今いる場所に「生きづらさ」を感じたら、どうすればいいのか。フリーランスで国際協力に携わる原貫太さんは「一度、アフリカに行ってみたらどうだろう。私自身、アフリカに“生きやすさ”を見つけた1人だ。不便なことも多いが、ここには日本社会にはない“余白”がある」という――。 ※本稿は、原貫太『世界は誰かの正義でできている』(KADOKAWA)の一部を抜粋、再編集したものです。
「フリーランス」に居場所はあるのか
「なぜフリーランスになったのですか?」とよく尋ねられる。
たしかに、適応障害を患い、立ち上げた団体を辞めたことがフリーランスになる直接的なきっかけではあった。
しかし、今もこの働き方を続けているのは、フリーランスという形が自分に最も合っていると感じているからだ。
もちろん、フリーランスであっても他人との共同作業や協働が求められる場面はあり、息苦しさを感じることもあるし、ストレスが完全になくなるわけではない。
それでも私は運良く、自分に合った働き方を見つけられたと感じている。自分の特性に合った「居場所」さえ見つけられれば、誰でも自然に適応でき、生きやすさを感じ、時には他の人以上の力を発揮することさえできる。
フリーランスという「所属先がない」働き方が、逆説的に私にとっての「居場所」を作り出しているのかもしれない。
「便利=生きやすさ」ではない
この考えは、日本を離れ、アフリカで活動をする過程でさらに深まった。
アフリカの貧困や飢餓といった過酷な現状を発信していると、「そんな大変な場所に行くなんてすごいですね」と驚かれることがある。
しかし、アフリカを「大変なことばかりの地」と見るのは、一面的な視点にすぎない。
たしかに、アフリカでの生活には不便さや危険が伴うことも多い。しかし、別の視点から見ると、私にとってアフリカは日本以上に「生きている実感」や「生きやすさ」を感じられる「居場所」でもあるのだ。
私の周りには、アフリカで活躍している友人や知人が少なくない。
その多くが、「日本では社会不適合者のように見られていたけれど、アフリカに来てからは生きやすくなった」と語る。彼らは、アフリカという地で自分らしく生きられる居場所を見つけたのだろう。
日本社会に漠然とした生きづらさを感じている人に対して、私は半分冗談のように「アフリカに行ってみたら?」と声をかけることがある。そして実際に、アフリカに渡り、現地の生活や文化に順応し、自分に合った居心地の良さを見つけている人も多い。