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「努力しても報われない」元女子バレーボール日本代表が歩んだ不妊治療の道のり【大山加奈さん#1】
2022年4月から、不妊治療への保険適用が決定しました。2021年からの助成拡充とあわせて、子を持つための選択肢が広がろうとする今、終わりの見えない不妊治療の日々を過ごした大山加奈さんに、ご自身の不妊治療と子育てについてお話いただきました。
2021年の助成拡充に続き、2022年4月から、人工授精等の「一般不妊治療」、体外受精・顕微鏡受精等の「生殖補助医療」についての保険適用が始まります。
これまで、費用面での不安を抱えて治療に踏み出せずにいた方や、治療の継続を諦めようとしていた方にも、新たな選択肢が生まれるのではないでしょうか。
バレーボールプレーヤーとして、力強いスパイクでチームを支え、アテネ五輪、世界選手権、ワールドカップの三大大会すべてに出場した輝かしい経歴をもつ大山加奈さんも、約5年にわたり不妊治療を行った経験者。
強い意志、人並ならぬ努力をもって目標を達成してきた大山さんにとって、「どんなに努力をしても報われない」不妊治療は、それまでにない体験であったといいます。
大山さんが2021年2月、無事双子の女の子を出産するに至るまでの苦悩や葛藤、救い、そして多胎児育児について、全4回にわたりお伝えします。
自身の体への不安と、不妊治療への決意
――どのような経緯で不妊治療を開始されたのでしょうか。
もともと、子どもが欲しいという思いは強かったんです。基礎体温は結婚する数年前から測り始めていたのですが、ガタガタかつ、低体温で。
現役時代にかなり体を酷使していたこともあり、自分は子どもができにくい体なんじゃないかと感じていたので、結婚が決まった時にブライダルチェックに行きました。
そこでAMH※の値がすごく低い数値で、実年齢よりも高い年齢として出てしまったんです。
また、同じ時期に母の病気(がん)も見つかり、母が誰よりも孫を望んでいたこともあって、結婚してすぐ、急いで不妊治療のクリニックに通うことに決めました。
※AMH(抗ミュラー管ホルモン)……卵巣にある卵子の残存数を推定するため、血中から採取し測定する。参考:不妊治療の実態に関する調査研究 最終報告書 - 厚生労働省
「なるべく自然な形で授かりたい」自身の願いと、治療に対する葛藤、不調との闘い
――その際、病院選びは何をポイントとされましたか。
一番は自宅から近いことでしたね。仕事をしながら通院する必要がありましたし、不妊治療についてネットで調べたら、何回も通わなければならないということだったので、まずは通いやすいということを最重要項目としました。
あとは、口コミやブログをたくさん見ました。初めて行くクリニックですし、不安もすごく大きくて。
待合室の雰囲気だったり、先生が二人体制で、自分に合う先生を選べるということだったり。私としては、最初はあまり大きくないクリニックの方が安心かなと思ったので、そういう所を探して決めました。
――転院も経験されていますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
最初のクリニックで、先生とあまり合わないというのは感じていたんですが、転院するのはすごく大変だろうなって思っていたんです。
病院選びから再度やらなくてはいけないですし、検査結果もそのまま引き継ぐことができるのか、また1からこれまでの検査をやるのか?という不安もあって、抵抗がありました。
すごく悶々としているなかで、奥様が長年治療されているという男性と出会ったんです。その方が、すごくいい先生がいるからと転院先の病院を勧めてくださり、その言葉を信じて転院を決意しました。
こんどはとても規模が大きく、都内でも三本の指に入るくらい有名なクリニックだったので、待ち時間がものすごく長くて、3、4時間は待つことがありました。でも、それだけの方が頼ってその病院に来ているということですし、症例数もすごく多かったので、安心して治療を受けることができました。
――治療方針はどのように決められたのでしょうか。
とにかくAMHの値が低いということで、先生から、ステップアップは早めの方がいいと言われていました。
ただ自分の中に、「できるだけ自然に近い形がいい」というこだわりがあって。どうしても、子どもを作るために医療に介入されるということに抵抗があったんですよね。
できるだけ自然に近い形で妊娠したいということで、タイミング法も人工授精も、結構長い時間をかけてやっていました。
でもやっぱり先生からはその都度、「早くしたほうがいいよ」ということは言われていましたね。その時31、2歳だったのですが、「状況的に、妊娠できるのは多分35歳くらいまでだよ」と言われていて。自分自身もすごく焦りはしたんですけれど……葛藤でしたね。
――葛藤の末、決意されての治療のステップアップ。どのような思いがありましたか。
タイミング、人工授精と、2年近く時間をかけてやって、それでもうまくいかなかったので、もう私は、こういう形では妊娠を望めないんだろうな、というのを感じ、覚悟を決めて体外受精に移行することを決意しました。
それでもすごく葛藤があって。まず大きいのは費用の面ですよね。急にものすごく費用が高くなる一方で、それだけのお金をかけても、授かる確率ってとても低いじゃないですか。
あとは体と心への負担も非常に大きいということ。特に体への負担というのが心配でした。私はその頃も全国を飛び回っていて、ほとんどが「対子どもたち」の仕事だったんです。
子どもたちと向きあうのに、万全の状態で向き合いたいという気持ちがあって。体がしんどい、というのは避けたかったんですよね。だから体調を崩してしまうことに対する心配もありました。
精神面でも、ホルモンの関係で精神的なバランスが崩れてしまうということを聞いてきたので、仕事をしながらステップアップってすごく難しいなと感じていて。
私たちの仕事は、年度初めは結構暇なんです。ですから4月を待って、体外受精をスタートしました。
――通院の後に体調や精神面に影響が出ることもありましたか。
そうですね。やっぱり注射をするとすごく体重も増えましたし、汗がバーっと出て、ホットフラッシュのような症状が出るなど、ホルモンを左右することで影響が出るような症状はありましたし、採卵のときは麻酔をかけるので体への負担もあります。
採卵後の卵巣の痛みっていうのもすごく強くて。痛みとの戦いでもありましたね。もともと注射が苦手だったのですが、治療ではもう何本打つんだっていうくらい注射を打つじゃないですか……しかも自分で!これは辛かったですね。
努力が報われるとは限らない。だからこそストレスは一番の敵
――治療を始める前に知っておきたかったことはありますか。
治療をすれば子どもを授かると思っていたんですが、その確率は意外と低くて。体外受精にステップアップしたら子どもができるかもしれない!と強い期待をもつことで、だめだったときにすごくダメージが大きくなってしまったんです。
そこは気構えできていたらよかったなと感じています。
もちろん、「できる!」と信じることもすごく大事だと思うんですけど、だめだったときのショックは本当に大きいので……でもその感情制限は難しいですよね。
私も現役中は、「オリンピックに行く」だとか、「日本一になる!」という目標に対して、「絶対に目標を達成できる、するんだ!」「信じなきゃ、叶えられない」という思いでやってきていたので……信じて、努力してきた人生でした。
でもこの治療はそうじゃないことがすごく多いんです。途中から「必ずできる!」「絶対に子どもが欲しい!」と強く思いすぎるとだめな治療なのだと感じたんですよ。
その心の持っていきかたっていうのがとても難しかったですね。難しいですけれど、淡々とやるべきことをやるのがベストなんだなと……心のアップダウンの落差がないようにすごせると良かったですね。
――努力と成果が比例しない苦しみがありますね。
保険適用で「諦めないという選択」も
――不妊治療を始めた方にとって、費用面の不安、ストレスはかなり大きいかと思います。ストレスを軽くするという点でも、不妊治療の助成拡充や、保険適用は大きな支えになりますね。
すごく大きいと思います。これまで治療したくてもできない方もいたでしょうし、継続したくても費用面で諦めたという方も、たくさんいると思うんです。続けていたらもしかしたら妊娠できていたかもしれないのに……という思いだってあるでしょうし、すごく酷だと思うんです。
なので、今回のこの制度によって、諦めなくてよくなる方、納得いくまで治療ができる方がたくさん増えるであろうことは、本当に良かったなって思っています。
――どんなに努力しても、報われないこともある。だからこそ、心の寄りどころ、気持ちの抜け道を作っておくことは大切なのですね。そして、心を追い詰める焦りや不安を少しでも軽くする、今回の保険適用は大きな意味を持つということがわかりました。
大山加奈さんインタビュー2回目、次回は、不妊治療と仕事の両立についてお伝えします。
<取材・執筆・撮影>KIDSNA編集部
▼▼▼大山加奈さんインタビュー全4回 続きはこちらから▼▼▼
▼大山加奈さんインタビュー2回目 キャリアと不妊治療の両立
▼大山加奈さんインタビュー3回目 不妊治療の支えと気づき
▼大山加奈さんインタビュー4回目 双子育児