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【追悼】草間彌生「死んだ後にこそ作家の価値が決まる」…対談で"本気のケンカ"をしたもう一人の鬼才の名前

【追悼】草間彌生「死んだ後にこそ作家の価値が決まる」…対談で"本気のケンカ"をしたもう一人の鬼才の名前

2026.10.15

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世界的なアーティストである草間彌生が2026年8月14日に97歳で死去した。草間の生前の発言に注目した平山亜佐子さんは「草間が日本で評価されたのは50歳を過ぎてから。61歳のときの対談では、長年評価されなかった鬱屈を相手にぶつけている」という――。

37年前、アーティスト対談で衝突

「あまりにも世界が違って、対談していくのが苦しいから、ここで降りたいと思いますけど」

1991年1月、『季刊みづゑ』誌上で横尾忠則と対談した草間彌生くさまやよいは、そう口走った。

その少し前にも、草間はこう話している。

「横尾さんと対談できるかどうかということに危惧を感じているんです。二人の生き方が正反対だから。あなたの世界は私の世界とは全然別の世界だから、この雰囲気の中で非常に疎外感というか、話しあえないという感じがするんです」

このとき、草間彌生61歳、横尾忠則54歳。

年齢は7歳違えど、ともに1960年代ニューヨークのアート・シーンに親しみ、生と死、幻視、鏡、動物、自然、身体などへの関心も重なる。対談相手として申し分のない二人だ。

ところが草間は、司会(当時の『みづゑ』編集長)や横尾が共通点に話を向けても、あくまで自分はオリジナルであると主張する。横尾のことを「非常にジャーナリスティックで、私とは世界が全然違って、ついていかれない」とまで言うのだ。

60年代に自分が切り開いた表現

そのうち草間は、1960年代の自分について矢継ぎ早に語り始める。

ニューヨークではアンディ・ウォーホルをはじめ多くのアーティストが自分の真似をしたこと、「ジーザス・クライスト・スーパースター」などのミュージカルにも影響を与えたこと、ファッションの会社を作り、自分がデザインしたドレスを「全米4000軒」のデパートやブティックで売ったこと。「当時の私はありとあらゆる新しいメディアの先駆者だったんです。だから、1960年代のスターになれたわけです」。

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