「一流のお金持ち」はフェラーリには乗っていない…"本物"を知る富裕層が行きつく"究極のクルマ"の正体【2026年6月BEST】
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2026年6月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。マネー部門の第2位は――。 ▼第1位 やっぱり豊田章男会長は正しかった…EV大失速を横目にトヨタが「世界トップ」に君臨し続けるための"切り札" ▼第2位 「一流のお金持ち」はフェラーリには乗っていない…"本物"を知る富裕層が行きつく"究極のクルマ"の正体 ▼第3位 エアコンでも冷蔵庫でも照明でもない…猛暑の電気代削減のために専門家が「真っ先に手をつけて」と勧める場所 お金持ちはどんな車に乗っているのか。富裕層マーケティングを手掛ける西田理一郎さんは「『一目でわかる富の象徴』を誇示する時代は変わりつつある。彼らの消費哲学を紐解くと、その本質は意外にも『走り屋文化』の黄金期(1980年代~90年代)を生きた日本の中高年の哲学と重なっている」という――。
風の軌跡をなぞる宇宙船のようなフォルム
ある土曜の午後、表参道の交差点に立っていた。
信号待ちの車列に、赤いフェラーリが2台、黄色いランボルギーニが1台。V8やV12の咆哮が、ケヤキ並木の間を重低音で揺らしている。歩道を歩く若いカップルが振り返り、スマートフォンを構える。東京の週末ではもはや見慣れた光景だ。
ところが、そのフェラーリの2台後ろに、空気を纏うように描かれたボディラインの車がいた。
周囲の喧騒を吸い込むかのように、地面に吸い付くように低く、ボディラインは空力そのものをデザインへ昇華した造形。色は深いアントラシートで、まったく自己主張していない。
横断歩道を渡りかけた男性が、足を止めた。フェラーリには見向きもしなかった彼が、その車の前で立ち止まり、しばらく動かなかった。
マクラーレンだった。
フェラーリでもランボルギーニでもなく、マクラーレンを選ぶ。この選択には、単なる「スーパーカー好き」という言葉では片付けられない、一部の車好きな富裕層だけが持つ特異な「消費哲学」が隠されている。
カタログの数字比較には興味がない
スーパーカーの世界には、独特の「比較文化」がある。
自動車雑誌やYouTubeのレビュー動画を開けば、必ずと言っていいほど登場するのがスペック比較だ。
マクラーレン・アルトゥーラ(クーペ): フェラーリ 296 GTB: ランボルギーニ・テメラリオ: |
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これら数字を並べて、「どちらが速いか」「どちらがコスパがいいか」を議論する。スーパーカーファンの定番の楽しみ方であり、私もかつてはそうした数字の虜になっていた時期がある。
スペックだけの比較だとマクラーレンが決して頭抜けているわけではない。
しかし、実際にマクラーレンのオーナーたちと接する機会が増えるにつれて、あることに気づいた。
彼らにスペックの話を振ると、決まって困ったように笑うのだ。
「馬力がいくつかって? すみません、正確に覚えてないんですよ」
これは謙遜ではない。本当に覚えていないのだ。
麻布や表参道でスーパーカーを見かけたとき、多くの人はまずメーカーのエンブレムを確認し、次に「誰が乗っているんだろう」と運転席を覗き込む。
フェラーリやランボルギーニの場合、そこに座っているのは「わかりやすい成功者」であることが多い。派手な時計、オーダーメイドのジャケットに身を包み、「見られること」を楽しんでいる。
しかし、マクラーレンのシートに座っているオーナーは、少し違う。
サングラスこそしているが、パタゴニアのフリースにジーンズ、スニーカー。拍子抜けするほどシンプルだ。
彼らは見られることに興味がない。正確に言えば、「見られること」と「理解されること」はまったく別の概念だと知っている。
では、彼らは何を基準に選んでいるのか。






