30年前の悪夢が再来する…経営コンサルタントが指摘する「サナエノミクス・責任ある積極財政」の盲点
「支持率8割」の政権が国民を道連れにするとんでもない落とし穴
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高市新政権の「サナエノミクス」は成功するのか。経営コンサルタントの小宮一慶さんは「高市政権が掲げる責任ある積極財政で、今後、長期金利が急上昇する可能性があり、その結果、企業や国民は辛酸を舐めることになる」という――。
外交日程を無難に乗り切り、政権支持率も8割超の高市早苗首相ですが、その経済政策には、危なっかしいところがあります。その筆頭に挙げられるのは、いわゆるサナエノミクスによって、長期金利が今後急上昇する可能性があることです。「責任ある積極財政(政府が財政支出を活発化させ、国民生活をより広範囲に支えること」を標榜していますが、さじ加減を間違うと、とんでもないことが起こる可能性があります。
金融危機の記憶
その「とんでもないこと」を説明する前に、以前、日本経済に起きた「事件」を簡単に解説します。
私はこの時期になると必ず思い出すことがあります。若い読者の皆さんは知らないと思いますが、1997年11月に日本は戦後初めての金融危機を経験しました。
90年代初頭にバブルが崩壊し、株価が大幅下落しました。89年暮れに3万8915円の当時の最高値から翌90年に入ると、瞬く間に2万円台まで下落。一方、土地バブルの崩壊はその後しばらくしておきましたが、それにより銀行は大量の不良債権を抱えたのです。
バブルの頃に各銀行ともに他行とのし烈な競争の中で大量融資を行ったのですが、それが焦げ付いたのです。バブル期に私は銀行員でしたが、普段は不動産の価値の70%程度しか担保として認めないのが、120%まで担保価値を認め、それも地価が右肩上がりで上がる中での貸出しですから、多額のというより過剰な融資を行ったのです。
その不動産価格が落ちると、当然不良債権の山が発生しました。100兆円の不良債権を銀行全体で抱えていると言われました。
当時の銀行をはじめ証券会社、生保は大蔵省による「護送船団方式」で守られて事業をしていましたから、それだけ大量の不良債権を処理することを想定しておらず、またその手段もありませんでした。
それが97年11月にとうとう噴出したのです。
3日に中堅証券会社だった三洋証券が、17日に都市銀行のひとつだった北海道拓殖銀行が破綻、勤労感謝の日を含めた3連休の途中に日経新聞が4大証券の一角の山一証券の破綻をスクープし、連休明けに破綻、11月の最終週には、仙台の地方銀行が破綻しました。
翌年には、名門銀行だった日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が相次いで破綻、他にも中小の金融機関が次々と破綻していったのです。
その後、りそな銀行に2兆円の公的資金が注入されるまで金融危機は続きましたが、金融危機の間のみならず、その後の日本経済が長期にわたって低迷したことはご存じの通りです。





























