松江いちの美人が「きれいな物乞い」に…「ばけばけ」でも描かれた小泉セツの実母がたどった没落人生
没落しても家事ひとつできない家老の一人娘
Profile
朝ドラ「ばけばけ」(NHK)のトキ(髙石あかり)のモデルはラフカディオ・ハーンの妻・小泉セツ。母タエ(北川景子)のモデルはセツの実母チエと思われる。歴史家の長谷川洋二さんは「チエは松江藩家老の娘だったが、嫁いだ小泉家と共に没落した」という――。 ※本稿は、長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の一部を再編集したものです。
物語が好きなセツが聞いた、美しい実母の昔話
少女時代に、セツの心が最も熱心に求めていたのは、学校の先生を含め、周囲の大人たちが誰彼となく話してくれる物語であって、セツは大人を見つけては、しょっちゅう「お話ししてごしない」とせがんだものである。「夜になると行灯あんどんが点る。その薄暗い影で色々なお話を聞く」と後年セツが回想する時が、最も幸福であった。
彼女は二十はたち過ぎまでも物語好きでいて、人に話を求めるのをやめなかったが、その結果としての豊富な物語の貯えが、未来の夫(ラフカディオ・ハーン)の文学に貢献しようとは、夢にも思わなかった。
実母が12歳で結婚した「最初の夫」の悲劇
セツが繰り返して聞いたもう一つの話は、セツの実母チエの若い頃の話である。チエは「御家中ごかちゅう一番の御器量ごきりょう」と褒めそやされた稀まれに見る器量の持ち主で、しかも名家老塩見増右衛門の一人娘であったために、殿町とのまちも三の丸御殿の前の広壮な屋敷に、京・大坂より師匠を招いて芸事の稽古を受けるなど、文字通りのお姫様育ちをしたのであったが、13歳になる少し前に、一度さる高位の侍の家に嫁入りをした。
藩公から格別な祝儀を賜って、盛大にとり行われた婚礼の晩のことである。夜も深まったが、待てども待てども新郎は寝所しんじょに姿を現さない。突如として庭からただならぬ物音が聞こえて来た。
チエは、まだ年端としはも行かぬ娘の身ではあったが、護身の懐剣かいけんの袋緒ふくろおを解き、雪洞ぼんぼりを掲げた侍女一人を従えて姑しゅうとめの部屋に向かい、廊下から落ち着いた声で、
「母上様、御寝なさいましたか。夜中お騒がせ申し相済みませぬが、旦那様には未だ御床入りがなく、しかも、ただ今、お庭前にて、ただならぬ物音が致しました」
と言上した。
チエはこれらすべてを、少しの取り乱しも見せず、非の打ちどころなくやってのけたのである。
さて、家中の者が手燭てしょくや提灯を手に手に、どっと庭に降りて見ると、男は腹一文字にかき切った上、首筋を斬って雪見燈籠ゆきみどうろうに伏せ、女は首をほとんど完全に打ち落とされて、松の根元に倒れているという、血の臭い漂う光景が繰り広げられていた。
身分を異にする男女の結婚は許されない封建の世であった。花婿なる男は、愛していた腰元の首を打ち、自分も腹を切って果てたのである。それは、いかにも哀れな悲劇であったが、武家にあっては、そのような未練の執着は激しく非難されたものであり、それだけに、うら若い身でありながら見事に事に処したチエは、大きな称賛を受けたのであった。
そして結局、チエは14歳の秋に小泉家に迎えられたのである。





























