長男に逃げられ養女に出した娘に「スマン」と言い息絶えた…「ばけばけ」堤真一のモデル「小泉セツの実父」の真実
武功のある名士だったが、機織工場が倒産し全てを失った
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朝ドラ「ばけばけ」(NHK)では小泉セツをモデルに没落武士の娘トキ(髙石あかり)の苦難の日々が展開。著述家の長谷川洋二さんは「セツの実父・小泉湊(堤真一が演じる雨清水傳のモデル)には妻チエ(同・北川景子演じるタエ)との間に息子が4人いたが、病に倒れたとき頼りになったのは養女に出したセツだった」という――。 ※本稿は、長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)の一部を再編集したものです。
セツが生まれた小泉家には4人の息子がいた
小泉家の屋敷は、(養女に出された)稲垣家とは城を挟んでの反対側にあったが、セツは時折、その南田町の生家に連れて行かれた。小泉家には、実の父母のほかに、セツが6歳になる年の初めまでは祖父の岩苔がんたいが、12歳の年の秋までは祖母が生きていた。
そのほかに、10歳年上の長兄氏太郎うじたろう、8歳年上の姉のスエ、2歳年上の武松たけまつ、2歳年下の藤三郎とうさぶろう、それに10歳年下の千代之助ちよのすけと続いていたが、なぜか、セツは実の兄弟たちに親近感が湧かず、一緒に遊ぶことは稀であった。その一方で彼女は、実の父母や祖父たち、それに小泉家の親威たちに関わる劇的な物語のあれこれに、親しんでいったのである。

親戚と言えば、セツは事実上、出雲における高位の侍たちのすべてと、なんらかの血の繋がりがあったと言える。というのも、小泉の祖父岩苔は、幕末に中老に進んだ乙部勘解由家から、小泉家に婿養子に入ったものであり、この乙部家の本家である乙部九郎兵衛家こそ、出雲の、いわゆる代々家老7家の中でも、大橋家と並んで最も有力な家であった。
山陰道鎮撫使の官軍が松江城に入った3日後、官軍の幕僚たちと折衝し、次いで、徳川本家との絶縁と新政府への忠誠とを誓った文書に、「家老首座」として、11名の重臣の筆頭に署名し血判を押しているのは、この乙部家の当主、10代目の乙部九郎兵衛である。
その上、セツの母の実家である塩見家も、時に家老、時に中老を務める、いわゆる「不定家老」の家柄ではあったが、江戸中期の宝暦年間から幕末に至るまで、松江城三の丸御殿の前に、乙部本家に劣らぬ広大な屋敷を構えた有力な家で、セツの祖父に当たる塩見増右衛門こそ、その壮烈な諫死かんしで出雲の歴史を飾った名家老であった。

























