「足利尊氏=逆賊」は明治政府の陰謀だった…最新研究でわかった室町幕府初代将軍のこれまでとは真逆の評価
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室町幕府を開いた足利尊氏とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「戦前の日本では天皇に弓を引いた逆賊として扱われていた。しかし、近年の研究を見るとその評価は間違っていたことがわかった」という――。
日本史上において最も毀誉褒貶が激しい人物
史上最悪の逆賊なのか、はたまた稀代の英雄なのか。日本史上における著名な政治家または武将で、足利尊氏ほど毀誉褒貶が激しく、時代によって評価が異なった人物は、ほかにいないだろう。
このうち戦前の評価は「逆賊」に一本化されていた。その流れをつくったのは、天皇を中心とする秩序を重んじ、後醍醐天皇が開いた南朝を正統と唱える水戸学だった。よく知られているように、幕末の政治運動の支柱となった尊王攘夷論は、水戸学の中核をなす考え方だった。
尊王攘夷論が目に見えるかたちで足利尊氏に向けられたのは、俗にいう「足利三代木像梟首事件」だった。これは文久3年(1863)2月22日深夜、京都の等持院霊光殿に安置されていた足利尊氏、義詮、義満、すなわち室町幕府の初代から3代までの将軍の木像の首、および位牌が持ち出された事件である。3つの首は三条河原に「正当な皇統たる南朝に対する逆賊」という罪状とともに晒された。
少し早いが結論を先にいっておくと、水戸学に代表される、足利尊氏を「逆賊」とする評価には、歴史的な裏づけがまったくない。尊氏は「逆賊」などと呼ばれかねない失敬がないように、むしろ配慮し続けた人物だった。
また、弟の直義との名高い兄弟げんか、すなわち観応の擾乱についても、配慮ができる人物だからこそ弟に大きな権限を持たせ、激しいけんかになったといえる。