【高橋祥子/前編】生命科学×子育て。遺伝子に刻まれた出産の仕組み

【高橋祥子/前編】生命科学×子育て。遺伝子に刻まれた出産の仕組み

「子育てをしている人こそ、サイエンスを知ると楽になる」。個人向けに遺伝子解析サービスを提供する株式会社ジーンクエスト代表取締役の高橋祥子さんは、自身も今年4月に出産した一児の母。産後の慌ただしく激動の日々を過ごす私たちを、生命科学の観点から見つめたとき何が分かるのか、自身の経験とともに解説してもらう。

「これまで働いてきて女性だからという理由での悩みを感じたことがあまりなかった。でも昨年から妊娠、出産、育児を経験してはじめて、女性としての身体的なつらさや大変さを実感するようになった」

「出産や育児が大変でつらいのは母親のせいではなく、生物の構造上起こること。つまり個人の能力や感情の問題ではなく、私たちの遺伝子に刻まれた生物的なプログラムが育児を大変なものにさせている。このことを社会全体が理解して取り組めば、世の母親たちは自分を責めなくて済む」

遺伝子解析サービスを個人向けに提供しているジーンクエスト代表取締役の高橋祥子さんは、今年4月に出産し、現在、産後約7カ月。

出産や育児を経て、人間の体の仕組みの非効率さに疑問を持ったという高橋さんは、この疑問を自身の専門である生命科学の観点から理解すると、子育てをする人々の気持ちが楽になるのではと感じたのだという。

人類の起源にさかのぼり、ヒトが子どもを産み、育てる営みを、私たちの体に備わった遺伝子の情報から紐解いていこう。

【高橋祥子/後編】生命科学×子育て。母親の「孤独」と遺伝子の関係

【高橋祥子/前編】生命科学×子育て。遺伝子に刻まれた出産の仕組み

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高橋祥子(たかはし・しょうこ)/1988年生まれ。京都大学農学部卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中の2013年に株式会社ジーンクエストを設立。2014年、生活習慣病など疾患のリスクや体質の特徴など300項目以上もの遺伝子を調べ、病気や形質に関係する遺伝子をチェックできる個人向けゲノム解析サービスを開始。2018年からは株式会社ユーグレナの執行役員も務める。

赤ちゃんがひ弱で生まれるのには理由がある

――人間の体のしくみが非効率、とはどういったことなのでしょうか。

そもそもなぜヒトの出産・育児がこんなに大変か、本当に不思議じゃないですか?

たとえば馬や牛、キリンなどの赤ちゃんは生まれた瞬間に立ち上がりますし、少し時間が経てば走り出します。

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iStock.com/kavram

それに比べて、生後半年のうちの子はまだお座りもできないし、一般的には歩き出すのに1年くらいかかるといわれていますよね。つまり生まれたてのヒトの赤ちゃんは寝たきりの状態で「ひ弱な存在」です。

ではなぜ、ひ弱なのかと考えてみると、ヒトの場合、脳が生物として一人前になる前の状態で生まれてくるように遺伝子がプログラミングされているからなんです。

ヒトは他の哺乳類の動物に比べ、「生理的早産」といわれたりします。

チンパンジーやゴリラなどの他の霊長類と同じくらいの妊娠期間ですが、ヒトの脳はチンパンジーやゴリラと比べてずっと大きいので発達に時間がかかります。他の霊長類と比較すると、母親の骨盤の大きさに対して胎児の頭囲がギリギリの大きさで生まれてくるため出産リスクが高く乳児の死亡率も高いにもかかわらず、出産時には赤ちゃんの脳は未発達で成長しきっていません。

骨盤の大きさに限界があるから、もっと成長した状態で生まれてくることは難しいのですが、脳が未発達な状態で生まれてくることはすごく生物的に弱いですよね。

そのため、ヒトの赤ちゃんは普段から、親がひとときも目を離せないほど多くの脅威にさらされているんです。

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iStock.com/NataliaDeriabina

馬やキリンは生まれた瞬間に立ち上がるのに、ヒトがひ弱な状態で生まれてくるのは、ヒトが進化する過程で、脳が発達した状態で生まれてくることよりも、未発達な状態で生まれることで進化してきた、という生物進化上の歴史があるからです。

なぜそのような進化上の選択ができたのか。それは、脳が完全に発達するまでに15~20年かけられるほどの子育て環境とシステムが整っていたからで、それこそが、集団生活によって共同で育てるということなのです。

――人間は本来、共同で子育てをする生き物だということですか。

たとえば同じ霊長類でも、チンパンジーは母親一人で子どもを育てます。

約6歳まで母親と子どもが1対1の関係で、母親は、子どもが一人前に育つまでの間、次の子どもは生みません。つまり第二子を出産するまで約6年かかるということですね。

反対に、共同で子育てするというシステムが前提にあるヒトは、脳が未発達の状態で赤ちゃんを生むにもかかわらず、約1年おきにでも次の子どもを出産することができます。

約1年おきに出産するのは、より多くの子孫を残すための戦略ですが、そのためにヒトが選んだ子育てのあり方が「共同」で「分業」するということでした。

母乳をあげる人もいれば、餌(食事)を調達する人もいて、それぞれが役割を持ってコミュニティを形成することで進化してきたために、生物的にひ弱な赤ちゃんを育てる危険を冒しても脳の発達に時間をかけることができました。

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こうした背景から、ヒトは生まれてから15年~20年、脳の発達に時間のかかる赤ちゃんを育てるという非効率に見える仕組みが残っているんです。

赤ちゃんの脳が発達しないまま生まれてもいいように遺伝子が、私たちにはプログラミングされている。子育ては集団で行うものと、生物としてのシステムに組み込まれているんですね。

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遺伝子がどのようにして私たちの体をつくるのか

――人間に備わる遺伝子が、子どもがどのようにして産まれてくるかをプログラミングしている……。そもそも遺伝子は、どんなプロセスで体に反映されているのですか?

私たちの体内には約37兆個の細胞があり、その中の核と呼ばれる部分に遺伝情報をコードする物質が詰まっています。

その物質名が、DNA(デオキシリボ核酸)。

鎖の二重らせんのような図を見たことのある方は多いと思いますが、A(アデニン)T(チミン)C(シトシン)G(グアニン)という4つの塩基配列が対になって構成されています。

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ヒトの場合、塩基配列は約32億あることが知られています。

そのうちの約2%が、実際にタンパク質へと変換されて体をつくり、機能させている。この部分を遺伝子を呼びます。

つまり遺伝子は「DNA配列のうち、タンパク質に変換される配列の情報」であり、「設計図」である遺伝子が体の各部位を構成するタンパク質に変換されます。

特定のタンパク質を作り出すために必要な遺伝子だけを「RNA(リボ核酸)」という別の化学物質にコピーして、遺伝子の情報を基にアミノ酸を生成し、これを繰り返してタンパク質が生み出されます。

遺伝子ごとに役割が分かれているので、皮膚や爪をつくる遺伝子もあれば、エストロゲンやオキシトシンといったホルモンの受容体に関する遺伝子もあります。

遺伝子の約99.9%が、ヒトはみな同じつくりになっており、そこに刻まれた情報のひとつが、先ほど話した赤ちゃんが未発達で生まれてくる体の仕組みです。

これがもし、人類が生き残るのに不利な機能なら、自然淘汰されていくはずです。しかし今日まで、私たちに受け継がれているということは、ヒトの生存戦略上、有利に働くから残された機能だと考えられます。

遺伝子情報と社会環境にはギャップがある

――私たちが人間として進化する過程でプログラミングされてきた遺伝子情報が、体の仕組みをつくっているのですね。

そうですね。ところが問題なのは、こうした私たちヒトの生物としての体の仕組みと、現代の社会構造が相反しているということです。

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たとえば、私たちの毎日の食事は、満腹だと感じるよりも少しカロリー制限をした方が寿命は延び健康的に生きられることが多くの研究で分かっています。

でも、よく考えるとおかしいですよね。最も健康的に長生きできる食事量をちょうど満腹だと感じられるように遺伝子で既定されている方が、体の仕組みとして効率的なはずです。

しかし、人類の進化の過程で、常に食料へのアクセスがあるとは限らない時代を生きてきたことから、私たちの体内では、健康水準よりも少し多くのカロリーを摂取しエネルギーを貯蓄できる方向に遺伝子がプログラミングされているんです。

そのため、食べられるとき、つまり食料へのアクセスがあるときに少しでも多く食べておこうと体が欲しがるようにできています。

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こうした遺伝子の情報を現代まで受け継いでいるため、時代が変わり基本的に食料に常時アクセスできる状態にある現代では、肥満やメタボリックシンドロームなどの生活習慣病が問題になっています。

この例のように、遺伝子に刻まれている生物的な性質と、現代の社会構造とのギャップは存在しており、それを認識して埋めていくという行動をしなければいけません。

先ほどの育児もこの話と同じなんです。

進化の過程でヒトが選択してきた集団生活で子育てをするという生物的なシステムと、現代の核家族が増え、ワンオペが当たり前になった現代の社会構造とのギャップが大きいのです。

現代の社会構造が悪いということではなく、私たちの遺伝子に刻まれている共同育児の仕組みを理解した上でそこにきちんとかみ合っていなければ、誰かにしわ寄せがきて大変になるのは当たり前だということです。

私がお伝えしたいのは、子育てが大変なのは、決して母親のせいではないということなんです。

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このギャップを埋めるための正解はひとつではありませんが、本来、子どもを母親ひとりで育てようとするのではなく子育てを一緒に行うチーム編成をするべきです。

私の場合は、産後すぐは夫に加え、私の母と夫の母にそれぞれ2週間ずつくらい、合計1か月くらい泊まり込みで来てもらって3人で夜中の授乳や夜泣き対応も交代制でシフトを組んでいました。

夜0時から4時までの担当1人と4時から8時までの担当1人を決め、残り1人はその日は夜通し寝られるという3人シフトで子どもを見ていました。

また幸いにも、会社には企業内保育園があるので、生後2カ月から預けて昼間は保育士の方々、夜は私と夫で、何らかの形で複数の大人がチームを組んで子育てをできています。

家族のあり方は多様化しているのでどのようにチームを作るかはそれぞれだと思いますが、母親一人で育児を抱え込むのではなく、できる限り複数の大人が育児に参加できるチームを作るのがヒトの遺伝子の仕組みにかなっていると思います。

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社会全体ができることとしては、育児チーム化のため男性の育休を取りやすくしたり、現在2歳以下は条件付き、3歳以上が無償になっている幼保無償化の制度を、特に大変な0~2歳の保育料も家庭の経済状況にかかわらず完全無償化にすることなどが個人的にいいのではと考えています。育児に関する社会制度もヒトの遺伝子の仕組みに合わせて考えるのが理にかなっていると思います。

そのために、社会全体が、ヒトの生物としての仕組みを理解し、遺伝子的に見て、育児はひとりではできないこと、本来チームで取り組むものだと認識を改める必要があります。

私たちヒトは生物であり、行動や感情には生物学的背景、つまりその理由が必ずあります。

サイエンスの視点で見ると、育児はひとりでするものじゃない。母親の体の仕組みや産後の変化を知るだけで、自分も周囲も気持ちと行動が変わると思っています。

そして、産後の母親のメンタル不調や、不安や孤独を感じることについても、遺伝子に刻まれたヒトの祖先から受け継がれたシステムがあるのです。それについては、後編でお伝えします。

【高橋祥子/後編】生命科学×子育て。母親の「孤独」と遺伝子の関係

【高橋祥子/前編】生命科学×子育て。遺伝子に刻まれた出産の仕組み

<取材・撮影・執筆>KIDSNA編集部

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